Sam Cooke Best (サム・クック・ベスト)RCA RPL-8027 (JPL 1-8641)
ジャケットにモノクロでサム・クックの笑顔が大きく使われていて嬉しいベスト盤。
今回、感性を伝える宝のライナーとして取り上げるこの『サム・クック・ベスト』のライナーを担当されているのは、『全米TOPヒッツ熱中本’55‐63―アメリカンポップスの黄金時代 』など、60年代のアメリカンポップスを特集した本を杉原 志啓さんとともに書かれている上野シゲルさん。
それだけにこの60年代のアメリカンポップスに関しては熟知されているようだ。
今回のライナーが書かれた日付は、1980年10月。
今からだいたい34年前、サム・クックの死後16年経ってからのもの。
では早速そのライナーの引用文を。。。
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サム・クックの伝説は今も続いている。サム・クックが死んでから間もなく17年目を迎えようとしているが、彼の名前がポップス・シーンから消え去ったことはない。最近もスピナーズが「キューピット」をリバイバル・ヒットさせ、また少し前にもドクター・フックやアート・ガーファンクル等が彼の作品を取り上げるなど、いつの時代にもサム・クックの話題に関しては事欠かない。
そういえば、昨年日本で発売されたアトランティックの『Soul Deep Vol.3』に収められていた作品の中のひとつに、サム・クックの死を惜しんで歌われた「We Can't Believe You're Gone」(Bobby Harris)のソウル・バラードもソウル・ファンの間で大変な話題を呼んでいた。
歌手としての活動期間14年間、ソロ・シンガーとしてはわずか9年間という短い歌手生活だったが、その間にサム・クックはソウル・ミュージックをより広く世に広めた功績で金字塔を打ち立て、ソウル界の先駆者的存在として君臨し、今もソウル・ファンの心の中に深く焼き付いているのである。
(僕とサム・クックの出逢い、そして想い出)
僕がサム・クックの名前を初めて耳に、目にしたのは1963年のことである。当時、少ない小遣いを貯めて最初に買ったレコード、そのシングルのB面、すなわちリトル・ペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」のB面に収録された「アナザー・サタディ・ナイト」が、サム・クックとの最初の出逢いであった。勿論、当時はペギー・マーチに惚れたのであって、サム・クックの作品を耳にした時は「こりゃ何だ!これならペギー・マーチのどんな作品でもいいから収めてくれた方が嬉しいのに」と思ったほどで、当時は黒人音楽(R&B)など知らず、また黒人特有のクセのある唱法にも耳慣れず不満を持ったものだが、しかし時が経つにつれて、実に味わい深いものとして感じるようになり、そして「ツイストで踊りあかそう」や「シェイク」でサム・クックに注目し始め、更に「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」の素晴らしいソウル・バラードでKOパンチを喰らい、以来サム・クックの虜となり、ソウル・ミュージック・ファンの一人となった次第。
過去にソウル・シンガーは数多くいれど、僕にとって今でもサム・クックはNo.1の存在であり、それはオーティス・レディング等も残念ながら及ばない。また「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」の名作は、僕の好きな傑作ソウル・バラードのベスト・3に入る名曲だと思っている。(因みに他の2曲はジェリー・バトラー&インプレッションズの「For Your Precious Love」とファイヴ・サテンズの「In The Still Of The Night」)。
ディープ・ソウル・ファンにとってサム・クックの存在はかなり過少評価されていると思われるが、確かに彼はポピュラー・シンガーとしての要素が強く、ポピュラー界への指向とまたスタンダード・ナンバーを数多く取り上げるなど、作品によっては今ひとつ物足りなさを感じる。そこが多少敬遠されている原因だが、でも彼の持つソウル魂は決して失われることなく、29才にして亡くなるまで彼の心に生きづいていたと確信している。そして何より僕にとってのサム・クックの存在は、ソウル・ミュージックの素晴らしさを教えてくれた、奥深い魅力を味わせてくれた最初のソウル・シンガーなのだから……。
(サム・クック・バイオグラフティー)割愛。
(サム・クックの果たした役割と彼の魅力)
サム・クックはソウル・ミュージック界のオリジナリネイターとして、ソウルの歴史を語る上で欠かすことのできない最も重要な、そして偉大なソウル・シンガーである、とは今更紹介するまでもないだろう。R&Bミュージックをより大きく広め、特にポピュラーな形で紹介し白人達にまで広めた功績は大きく、その存在感はレイ・チャールズと並び、天才ソウル・シンガーの一人として高く評価されている。
また後の若いソウル・シンガーに多大な影響を与え、例えばジョニー・テイラーやボビー・ウーマック、オベイションズのルイス・ウィリアムス、ルーサー・イングラム等、ほとんどのソウル・シンガーはサム・クックの唱法を真似てデビューし人気を得ていったのである。
更に白人のロック・ミュージシャンに与えた影響も大きく、特にイギリスから登場したブリティッシュ・ロック・グループ勢の大半は、サム・クックのソウルフルなヴォーカル・スタイルや作品をコピーし参考にしていたと言っても決して過言ではない。
このようにサム・クックは、R&B界、ポップス界の両分野において、何かしらの影響を及ぼし、まさしくそれは今日のソウル・ミュージック発展に貢献した第一人者である。
彼の魅力は甘いマスクにソフト・ヴォイス、暖かみのあるスウィートなヴォーカルが広く人気を呼んだ原因である。ゴスペルを基盤にしたソウルフルな唱法とスマートさを持った唱法が、うまく融合されてR&Bファンからポップス・ファンにまで幅広い支持を得た所以だ、また彼の時代を先取りした曲作りや誰でも親しめる曲調など、コンポーサーとしての才能も見逃せない。
サム・クックのソウル・フィーリングや作品は、まさにソウル・ミュージック入門の為の第一番手の存在と言えるだろう。
(曲目紹介)割愛。
(1980年10月 上野シゲル/shig)
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冒頭からスピナーズ、ドクター・フック、アート・ガーファンクル等のリバイバル・ヒット、そしてボビー・ハリスのサムへの哀悼歌についてを取り上げられてるし、今回引用はしてないけれど後半の曲目紹介でも、それぞれのチャート・ランキングに加え、リバイバル・ヒットをさせたシンガーの名前も丁寧に付け加えられていて、その豊富なデータ量に感服させられる。
折角なのでそこに書かれていたリバイバル・ヒットさせたシンガーの名前だけ取り上げるとこんな感じ。
SIDE:A
1.シェイク (オーティス・レディング)
2.ワンダフル・ワールド (ハーマンズ・ハーミッツ、アート・ガーファンクル)
3.パーティーを開こう (Ovations)
4.ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー (アニマルズ、エディ・フロイド、ルウ・ロウルズ)
5.ナッシング・キャン・チェンジ・ジス・ラブ
6.センド・ミー・サム・ラビング
7.ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム (スリー・ドッグ・ナイト、ロッド・スチュアート)
SIDE:B
1.アナザー・サタディ・ナイト
2.ユー・センド・ミー (テレサ・ブリューフー、アレサ・フランクリン、Ponderosa Twins+One)
3.キューピットよあの娘を狙え (ジョニー・リバース、ジョニー・ナッシュ、トニー・オーランド&ドーン、スピナーズ)
4.チェイン・ギャング (ジャッキー・ウィルソンとカウント・ベーシーの共演)
5.ツイストで踊りあかそう (ロッド・スチュアート)
6.エイント・ザット・グット・ニュース
7.テネシー・ワルツ
ここにあげられている殆どのシンガーがカバーしてたのは知っていたけれど、それでも知らなかったシンガーも見られたり、大好きなオヴェイションズの名前があがっていたりして嬉しかった。
『僕とサム・クックの出逢い、そして想い出』では、以前取り上げたリトル・ペギー・マーチとのカップリングのシングルが、上野さんにとってサムの曲にふれる初めての出会いだったことが書かれている。
アメリカンポップスが好きな流石の上野さんも、当時はまだ黒人音楽など知られず、クセのある唱法に戸惑ってられたようだが、クセのあるものの方が後にハマると味わい深くなるもので、サム・クックの虜になられていく過程も頷けた。
次に割愛したサムのバイオグラフィーが書かれているが、例のとおり生年月日と出生地が違い、1935年1月35日イリノイ州シカゴ生まれ(実際は1931年1月22日ミシシッピ州クラークスデイル)となっている。
そうなると当然のことながら没年齢も33歳のところが29歳となっていて、これが書かれた1980年の日本にもまだ正確なバイオグラフィーが伝わっていなかったのが分かる。
ゴスペル時代からのディスコグラフィーも細かく丁寧に書かれていたが、ここでは省略した。
最後には後年のソウル・シンガーやロック・ミュージシャン達に与えた影響力と、サム・クックの魅力が語られ、ソウル・ミュージックの入門としてもサムの作品は相応しいとして締められている。
曲のタイトルも日本語タイトルで「パーティーを開こう」、「キューピットよあの娘を狙え」、「ツイストで踊りあかそう」とあるが、63年にペギー・マーチとカップリングで出されていた「こんどの土曜日に恋人を」が、この頃には「アナザー・サタディ・ナイト」に変わっているのも面白い発見だった。
このアルバムは文字通りサム・クックのベスト盤としてリリースされている。
僕が思うベスト盤というのは、初めてそのアーティストのアルバムを購入する取っ掛かりとして手にしやすいレコードだと思っているが、そのような類のアルバムとしてこの上野さんのライナーを見た場合、あまりにも詳しい情報量が多すぎて、かえって勿体無いと思えるほどだった。
そのサム・クックに対する一般的な評価から、個人的な出会い、バイオグラフィー、ディスコグラフィー、チャート順位、リバイバル・ヒットなど、上野さんの知りうるかぎりの情報を惜しみなく書きだされているところに、このレコードを手にした全ての購入者にむけて分け隔てなく喜んでもらおうという気持ちが伝わってきた。
単に知識をひけらかすものではなく、上野さんの人柄が表れた資料的にも価値があるライナーだったように思う。