先日ふと見かけた、神主さんの書いたブログ。

 

そこに、女性は命を育む存在。男の力はそれを守るためにあるし、受けとめる男性がいて女性の力が発揮できる。

というようなことが書かれていた。

 

そんなひとがいてくれたら確かにいいよね。

実際に会ったことがないけれど。

 

どちらかというと男の力は、荒々しい暴力となり

支配し、ねじふせ、破壊し、上に立とうとする。

 

“女性を守る”…という意識のひとが今の日本にいるのだろうか。

 

荒々しくないかわりに、女性の子どもになろうとする。

それも違うのではないだろうか。

 

親は荒々しいタイプの人。

かたわらには優しいけれど子どもタイプの人。

守ってくれる男性…?

 

“女性を守ってくれる意識を持った男性”

なんて考えたことがなかったけれど、そう思った時どこかでしっかりしなきゃ、とがんばっている自分がほっとする感じがした。

 

力は、守るために使ってほしい。

力は、守るために与えられたと思ってほしい。

 

私は力がほしい。

 

守ってくれるひとを求める年齢は過ぎ、修行者として生きる身であれば私は守れるものになりたい。

 

以前私の前世を見てもらった時、

(前世についてはガイドが今の私に必要がないからと見せてくれないと言われた。)

魂も男性。脳も男性と言われた。

通常、どちらかが男性でどちらかが女性の方が多いとのことだったと思う。

 

それが真実か分からないし、縛られることはないと今は思うが

どこかで納得している自分がいる。

 

守れる力がほしい。

 

それでも、守ってくれるひとを求める心はいまだ消せないが。

それもまた幻想なのだろう。

煩悩である。

先日思い立ってホロスコープの鑑定を受けた。

 

太陽星座蠍座であるがひょんなことから月星座というものを知った。

調べてみると月星座は牡羊座でそこに描かれている内容を読んで軽い衝撃を受けた。

そこに描かれていた内容は気付かない間に自分を閉じ込めていた枠から解放してくれるようなものだったからである。

 

何なのこれ…と思った。

私はもっと自由だったのだ、と。

(色々な意味で)

 

ASC(アセンダント)は射手座でMCは天秤座。

興味を持って調べれば調べるほど、知らない間にたどり着いている今をある意味納得させてくれた。

 

自分のしている仕事のこと。

 

何でこんなことをやっているんだろう?

何でこんなことをはじめたんだろう?

気付いたらここにたどり着いたけれど何なんだろう、と。

(向いているとも思えないのに。)

 

くわしく知りたくなりはじめてホロスコープの鑑定を受けた。

届いた内容はとても興味深く、自分のとらわれていた枠をさらに壊してくれるものだった。

 

今までの私が…

“私”と思っていた私が一度壊れて生まれ変わったような気持ちになった。

 

こんなことで意識が大きく変わるんだ。

 

そして

ホロスコープにとらわれるのではなく、もっと自分は自由なものなのだと。

自分は自由ってこういうことだったんだ。

 

瞑想の本に書かれている、先人たちの言葉は実にシンプルだ。

今を生きて自分をひもとく。

そのシンプルなこととどこまで真摯に向き合えるか。

 

…とすぐに力が入ってしまう私だが、向き合わなくたって良いんだよ、と優しい言葉?声?がどこかから頭の中に響いた。

心に余韻を残した人。

 

駅のコンビニエンスストアの店員さん。

いつも一生懸命な感じのする若者だ。

 

接客に慣れていない様子が伝わってくる。

それでも今日もていねいに精一杯がんばっている。

どちらかというと不器用に生きているのだと思う。

 

私も

小さい頃は家の電話に出るのもこわくて

思春期の頃は一時期どうやって人と目を合わせたら良いのか分からなくなった。

友だちと二人で出かけることができるようになったのもだいぶ大きくなってからだった。

それでも何とか一生懸命生きていた。

 

そんな私を思い出す。

 

仕事をして、結婚もして、子どもも生んで、

図太くたくましくなったけれど

そんな私が消えたわけではない。

 

守れるようになってきたのだ。

演じられるようになってきた。

 

人にとってたいしたことではないのに、たいしたこととしてこなせない自分。

 

自分を責めるのはやめた。

(悲しむ気持ちはまだ消せない。)

 

だからそんな風に一生懸命に生きていて必死さが伝わってくる人に出会うと胸が痛む。

願わずにいられない。

自分を守れるようになりますように。

やさしい人たちと出会いますように。

 

繊細さを表に出せば風が鋭くかたわらを過ぎるだけで傷つく。

自分がわるいわけでも周りがわるいわけでもない。

自分を守れますように。

守ってくれる人たちと出会いますように。

 

そんな自分を心から愛せていますように。

 

やさしさが満ちた今となりますように。

ページをめくるたびに心の奥底がざわざわする。

言葉がしみ渡る。

私を解放してくれる本だ。

 

この本の言葉だけを誰かと分かち合いたい。

 

書名をのせようと思った。

でもその瞬間に色々な情報がくっついてしまう。

 

著者はどんな人か、とか。

まずそこで情報がぶわーっと広がる。

水底の泥に触れて

澄んだ水がにごってしまうように。

 

それから

本の言葉のすべてが腑に落ちるわけではないので

それは私にとって分かち合う必要を感じない部分。

 

なのでこう思うことにする。

シンクロニシティは起こるので

書名をのせなくてもこの本と出会う人がいる。

すでに部屋の書棚に並んでいるかもしれない。

 

どんどん読みたいのだけれど

こういう本を読む時は途中で猛烈な睡魔に襲われたりする。

 

この本の言葉と出会って本当に幸せだ。

悟り。瞑想。etc... 

今までもやもやとしていたことが晴れ渡っていくようで。

 

二十世紀期末。ふりかえると

独特のパワーが凝縮された時だったと感じる。

少しも色褪せないものがあるのに

どんどん埋もれていくのだろうか。

 

クリシュナムルティ『四季の瞑想』は

常にかたわらに置いている本。

同時期のこの本は少しも喧嘩せず

味わいを深めてくれている。

 

まだ半分ほど残っていて楽しみだ。

ごく平凡に、普通に生きている。

が、心の中ではすでに修行者だ。

 

地球の平和やはたまた宇宙の平和についても語りたい。

 

言葉では語れないような何かを分かち合いたい。

 

クリスタルが大好きだし、不思議なことも大好きだ。

先日も自分のホロスコープを鑑定してもらって、

その結果にワクワクした。

 

見えない世界のことや成り立ちについても語り合いたい。

 

クリシュナムルティの瞑想の本について共感しあいたい。

 

学ぶけれど依存するのは嫌だ。

 

経済活動から離れて暮らせたらどんなに良いだろう。

 

“本当の私”

常識の世界では表現できない。

 

でも表現できない息苦しさがそろそろ限界で

何者でもない私を今に解き放ちたい。

 

もしかしたら深く共感しあえる人がいるかもしれない。

実際に会うことはなくてもきっとつながっている。

 

分かっていてもひりひりする孤独にやられそうになる。

修業が足りない。

 

愛は私に満ちているはずなのに。