ページをめくるたびに心の奥底がざわざわする。
言葉がしみ渡る。
私を解放してくれる本だ。
この本の言葉だけを誰かと分かち合いたい。
書名をのせようと思った。
でもその瞬間に色々な情報がくっついてしまう。
著者はどんな人か、とか。
まずそこで情報がぶわーっと広がる。
水底の泥に触れて
澄んだ水がにごってしまうように。
それから
本の言葉のすべてが腑に落ちるわけではないので
それは私にとって分かち合う必要を感じない部分。
なのでこう思うことにする。
シンクロニシティは起こるので
書名をのせなくてもこの本と出会う人がいる。
すでに部屋の書棚に並んでいるかもしれない。
どんどん読みたいのだけれど
こういう本を読む時は途中で猛烈な睡魔に襲われたりする。
この本の言葉と出会って本当に幸せだ。
悟り。瞑想。etc...
今までもやもやとしていたことが晴れ渡っていくようで。
二十世紀期末。ふりかえると
独特のパワーが凝縮された時だったと感じる。
少しも色褪せないものがあるのに
どんどん埋もれていくのだろうか。
クリシュナムルティ『四季の瞑想』は
常にかたわらに置いている本。
同時期のこの本は少しも喧嘩せず
味わいを深めてくれている。
まだ半分ほど残っていて楽しみだ。