決闘で銃を向けられても生き残れ | 科学のために科学を科学的に笑うべし

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決闘生き残るにはどうしたらよいでしょうか?

サイモンシンは私と決闘したら生き残れないかもしれませんよ。
これは根拠のある主張であって、
別にサイモンシンを脅しているわけではありません
なので、決闘は申し込まないようにしてください>サイモンシン

ちなみにサイモンシンは著名な科学ライターで、
「フェルマーの最終定理」「暗号解読」などの著作があります。

さて、決闘で生き残る鍵は、戦略戦術(兵法)にあるかもしれません。

決闘は、公平合理的なスポーツではありません
そう考えるのは勝手でそういう自由もありますが、その結末は、大抵はです。
命がかかっているのですから、相手も色々策をめぐらしてきます。
万一、兵法を誤解されて卑怯とそしりを受けるようなことがあっても、
生き残っていれば説明もできるし、後の人生で汚名返上も可能だし、
場合によっては隠蔽もできれば歪曲してのいいわけや方便もできるでしょう。

兵法には、闘わないことが含まれています。
多くの武道家同士は直接対決なんかしません。
闘いに至る以前に、闘わないで済む方法を模索します。
あるいは、日常的に、相手から闘いなど挑まれない様に振舞っています。
実際に対決をしなくても、話が出るだけで、もう大騒ぎになって、
それだけで(情報的に)既に傷を負うことになります。
さらに実現などしたら、生き残っても物理的にも大きな傷が残りかねません。

兵法に含まれる意外とも思えるものは、科学です。
何時に日が暮れて暗闇が場を支配するようになるとか、
ある時間帯になると特定の方向の風が吹くとか、
雨が降る可能性が高い日があるとか、
動物の群れがどういう行動しているかとか、
そういった知識を持った方が決闘で生き残ったりします

さらに言えば数学が命を救う場面というのもあるでしょう。
実はその実例を知っていますので、別の機会を見つけてぜひともご紹介したいです。


決闘は、英語ではduelといいます。
数の2を意味するdualと共通して発生した語でしょう。
実は、三者での決闘というのも考えられていて、これはtruelとかいて
「トリエル」のように発音します。
この記事ではトリエルを取り上げて、その兵法について考えてみます。

現実に3人が銃を持って向き合えば、かなりの混乱が予想されます。
同時に3人がいろんな方向に乱射するのかどうか…
それ以前に、武器とか場所とか時間とか、
決闘の契りを三者でまとめる方が大変かもしれません。
さらなる困難は、3人の男を同時に手玉に取る超美人の存在

単純のため、
・事前に決められた順番で銃を撃ち、
・順番が来たら射撃は邪魔をされることがなく、
目的の一人だけに向けて1発撃って、(当たったり当たらなかったりして)
・目的外の人に流れ弾が当たることはなくて、
・次の生きている人に順番を回す。
ような場合を考えて思考実験をしてみましょう。

この思考実験用トリエルでも、公平に実行するのは色々な困難が伴います。
つまり、銃はたいてい撃つ人と撃たれる人の二者の関係です。
しかも、撃たれる側に立った結末は文字通り致命的であって、
総当たり戦を組んだり、1000回試行を繰り返すわけにはいきません。
一度弾に当たってしまった人は、その一度きりが最後であって、
もう一度撃ちたい、撃たれたいと思っても不可能なのです。

三者で雌雄を決する話となると、
相撲の巴戦、すなわち三人での優勝決定戦を思い浮かべる方もいるでしょう。
相撲も一対一の対戦です。
しかし、相撲では対戦に負けても生物学的には致命的ではなく、
再度対戦に参加することが可能です。
巴戦は、3人のうち2人ずつが順繰りに対戦し、連続して2戦勝てば優勝という仕組みです。
これでさえ(力士の力量差を捨象した数学的に合理的な仮定の下では)、
公平なゲームではありません。
最初に対戦する2人にとっては勝つ確率は5/14
最初に休んで観戦している人は4/14で、
対称ではないのです。
そして、トリエルのように一度しか撃たれることができないゲームでの公平な設定は、
巴戦より一層難しいのです。

さて、最初に挙げたサイモンシンの本「フェルマーの最終定理」では、
以下のような定式化でトリエルをとりあげています。(p.243)

トリエルとは、三人で行う決闘のようなものである。
ある朝、クロ氏とグレー氏とシロ氏は、もめごとを解決するためにピストルで決闘をすることにした。
決 闘は一人だけが生き残るまで続けることになった。
クロ氏はピストルが下手だったので、平均して三回に一回しか的に当たらない。
グレー氏はそれよりもいくら かましで、三回に二回は的に当たる。
シロ氏はピストルの名手で百発百中だった。
公正を期するため、クロ氏が最初に発砲し、
次にグレー氏(彼がまだ生きてい れば)、最後にシロ氏(まだ生きていれば)という順番で、
一人が生き残るまで続けることにした。
問題はこうである。「クロ氏ははじめにどこを狙うべきだろ うか」

(p.243)

そして、クロ氏の最善の策としては、
空に向ってピストルを撃つことにより、
グレー氏がシロ氏を殺すことを期待するか、
もしくはシロ氏にグレー氏を殺させる
という意味の解答を載せています(補遺9)。

実はこれは、不適切で不合理です。
ある意味、間違ってさえいるかもしれません。
ある意味とは、
「人間にとって自分の命ほど重要な価値はない」
という仮定を置いた場合です。
この仮定は、問題文に直接記述されてはいません(だからサイモンシンは無視した)。
しかし、実際にはこれは合理的なものでしょう。
人々の罪のために自らいけにえになったイエスという例外はあるものの。

クロ氏が空に向かってピストルを撃つ選択があるなら、
グレー氏もその選択が可能でしょうし、シロ氏もそうです。
さて三人とも空に向かって撃ち続けたらどうなるでしょうか?
(これはTJA戦略と呼ばれています)
弾が有限なら、どこかで弾切れになって三人とも生き残ります。
弾が無限でも、少なくとも誰かが死ぬことはあり得ません
全員が生き残るのです。
誰にとっても、これより良い答などあるものでしょうか?
空撃の作業を永遠に続けることが生に値するかどうかは別として。

反論として、
問題文では「一人が生き残るまで続ける」が条件で、
上記のTJA戦略ではその一人を決定しない
という主張があるかもしれません。
その通りです。
しかし、問題文をよく読みなおしてください。
問題が尋ねているのは、「クロ氏はどこを撃つべきか」なのです。
誰が生き残る確率が高いか?とか、
どうやったらクロ氏は最終的に生き残る一人になるか?
という問いではないのです。
最終的に誰か一人だけ生き残るようになることは要求されていません。
生き残るまで続けることだけが要求されています。

あるいは、TJA戦略は、三者の事前の協議が前提となっているという
意見もあるでしょう。
だれかこの戦略に従わない者がいれば破綻してしまいます。
これもその通りです。
しかし、三人が十分にアタマがよければ、きっと
「ここにいる皆は、必ず生き残れるTJA戦略を好むだろう」
考えることでしょう。

サイモンシンの、本での解説に戻ると、
クロ氏が空撃するのは確かに最善です。
しかしその理由は、サイモンシンが述べているような、
他の二者同士で片方が死ぬことを期待しているからとは言い切れないのです。
TJA戦略によるのかもしれません。

以上の話をより数学的に厳密に理解したければ、以下の論文を参照してください。

"Equilibrium points of Infinite Sequential Truels" D. M. Kilgour
Infinite Sequential Truel often has a unique undominated Nash equilibrium point (EP), which can be taken to be the solution of the game. This EP is either Triple Joint Abstention (TJA), when all three players fire into the air, or is composed of stronger opponent strategy for at least two players,...
自然の基本原理として「人間は平和を希求すべし
ホッブスリバイアサンで述べました。
That every man, ought to endeavour Peace, as farre as he has hope of obtaining it.(The Fundamental Law Of nature in Chapter XIV)

そのようにするのが現代の社会(国家)を構成可能であった兵法なのです。
空撃でもって、そのようにあろうじゃありませんか>サイモンシン

というわけで、私はサイモンシンよりもいい答えを示せましたよ。
彼と決闘しても、より有利な戦術を立てて、勝てるかも。

追伸:
命にかかわる重要なことなので再度書きます。
サイモンシンは、煽られたと思って私に決闘を申し込まないように。
申し込むなよ、
申し込むなよ、
絶対に申し込むなよ!