一生懸命やっているのに...
こんなに頑張っているのに...
なぜまたこんなことが起きるのか...
起きてほしくはないけど、人生で幾度となくこんな状況は訪れます。
思いがけない仕事でのアクシデント
賢明にやり続けてきた仕事でのミス
家族の病気や家族との関係の悪化
思わぬトラブルや自分自身の突然の病気
こんな時、なんで自分だけがこんな目に合うのかと嘆き悲しみたくなりますよね。
私にも、どん底のそのまたどん底という時期が幾度もありました。
決して強くはないけど、少々の事では落ち込んでいたくないのがポリシー。
嘆く時間があったら、さっさと寝るなり、今やれることを探せ!と踏ん張ります。
でも、どん底のそのまたどん底の時は、さすがに踏ん張る気力もなくなりました。
不思議とそんな時は、人と話す機会が減り少しずつその辛い状態を隠そうとします。
それは意識的な時もありますが、多くが無意識に相手に見せないようにしていきます。
「大丈夫?」と聞かれても、「全然大丈夫!」と答えてしまい、打ち明けようとしない。
そうなってしまうのは、なにより相手に心配を掛けたくないから。
そして、もうひとつ本人も気づいていない理由があります。
気力がなくなっている時だから、どこからどう話していいのかなんて分らないから。
その時の感情は、単に面倒だと感じていることも少なくないかな。
誰かがジブンのことを心配してくれるなんて、なんて幸せなことって思えるのは、まだ心に余裕がある時かも知れません。
嘆き悲しんでいることを人に見せたくない状態になっている時、もしくは嘆き悲しんでいるという自覚すらなくなっている時、心を言葉で表現するなんてできません。
それでも人は強くいなければという無意識の作用だけで、日々を日常として進みます。
「人に助けを求めたらいいのに」
客観的に考えることが出来れば、まさにそれが正解です。
でも毎日をその時々を進むのが精一杯だから、今のジブンをどう伝えたらいいのか解らない状態になっているんですよね。
日々を日常として進む
毎日をその時々を進むのが精一杯
仕事だって疎かにできない。
自分の生活だってちゃんとしなくちゃ。
時には自分がちゃんとできないから、こんな事が起きたんじゃないか。
そんな風に自分を責めてしまい、行動範囲が狭くなり、眠ることもできなくなる。
こんな時は日常の中で、今のジブンを表現することはかなり難しくなります。
日常以外の空間
日常を知らない関係の人
思い切って、日常を知らない人に話してみることがお勧めです。
上手に話す必要もないし、日常での関係性を気にする必要もないから楽なんです。
私にもそんな時だけ話をする方がいます。
カウンセラーでありセラピストであり、日常の私とは無関係の立場なので、気兼ねなく話をすることができるんです。
それは日常の自分自身の立場から離れて、気持ちだけを伝えることができるから。
そして、何よりもその方から何かを学ぶとか、何かを決めてもらうとかではなくて、今のジブンの感情をただ聞いてもらうだけで、それを言葉や声にするだけで、自分自身が見えてくるんです。
無意識に作り出してしまった殻から出ることが出来れば、大きく深く呼吸が出来て、本来のあなたの日常を楽しめる道が見えてきます。
今日という人生のページに素敵な彩りが生まれますように。感謝。