◆ジョンの魂 (John Lennon/Plastic Ono Band)
今の世の中に満足している人、今幸せでしかたない人や、人の心の痛みがわからない人(中山○樹)は聞くのをやめましょう このアルバムを聞くだけ不快になるに決まっています。
ジョンというビートルズ帝国を築いた人・・・その人はエベレスト山脈のてっぺんに立っていて、到底一般人からしてみたら文字通りの雲の上の人です。
そんな彼が山から降りてきて 突然寝ているあなたの目の前に現れて、あなたは飛び起きた。
あなたはドキドキしている。
何を話したらいいのかわからない・・・彼はおもむろに「枕」を返してくれと言い出した。
もう夢見る枕はいらなくなったという・・・・
ええええ?
突然そんなこと言われても困ってしまう
今まで気持ちよく寝ていたのに・・・・
彼は急に服を脱ぎだした
そして 今から本当の事を君に話すという
あなたの顔を見ながら突然叫びだした・・・・
「 お母さん行かないで お父さんもどってきて 」
「 負けるな俺! しっかりしろ! 」
「 労働階級の英雄になるのは大変なことなんだ 」
「 こんなに頑張ってるのに誰も世界を変えようとしないんだ 」
「 僕は誰なの 何をすればいいの? 」
「 神様って悲しみの度合いを測るメジャーなんだ 」
ええええええ!
この人急に何を言い出すの?
この人本当に「シー・ラブズ・ユー」歌っていた人??
今まで大巨人だったのに、僕と同じ178cmじゃない?
あなたはあまりの苦痛の深さに思わずもらい涙を流してしまった。
そこにいるのは、スーパースターでも何でもない一人の苦悩する人間の姿。
ビートルズって一体僕らにとって何だったんだろう?
●ジョンの魂 (John Lennon/Plastic Ono Band)は1970年12月に発売されたビートルズ解散後初のソロアルバム
◆収録曲
1. マザー(母)
2. しっかりジョン
3. 悟り
4. ワーキング・クラス・ヒーロー(労働階級の英雄)
5. 孤独
6. 思い出すんだ
7. ラヴ(愛)
8. ウェル・ウェル・ウェル
9. ぼくを見て
10. ゴッド(神)
11. 母の死
◆参加ミュージシャン
ジョン・レノン リンゴ・スター クラウス・フォアマン ビリー・プレストン フィル・スペクター
◆プロデューサー
ジョン・レノン オノ・ヨーコ フィル・スペクター
◆レコーディング
アビーロードスタジオ 1970年9月26日~10月23日
◆解説
参加ミュージシャンは5人となっていますが、ビリー・プレストンは「ゴッド(神)」のピアノのみ フィル・スペクターは「ラヴ(愛)」のピアノのみです。
ほぼ3人のミュージシャン ジョン リンゴ クラウスによってレコーディングされていて、飾りのないシンプルな音作りをしています。
フィル・スペクターのあの特有の重厚なウォールサウンドもありません。リンゴの証言によると「録音時にフィルがいたことは無い」ということなのでコントロールルームでの作業や仕上げのみに関わっている程度と考えていいかもしれません。
「彼の仕事はとても好きだよ(中略)ぼくたちは決して彼を先頭に立てないし、手綱は握っているからね。あいつのポップミュージックやサウンドに対する耳は恐ろしくいいから、そこだけを使う。スペクター(幽霊)にならないように気をつけて・・」ジョン ラスト・インタビューより「彼は裏方に徹していたよ。耳に神経を集中させて、たまにジョークを言ったりしてね。自分の意見を押し付けたりはしなかった。でも、楽器の音をよく聴いてみると、レコーディングされた方法なんかは、やっぱりスペクターのスタイルなんだ」ジョン
「僕たちはコードの書かれた紙をみるだけさ・・・ジョンが歌い始めて、それに僕達もあわせる。その曲を1回通してやってみて、それからレコーディングするんだ。たいていファースト・テイクかセカンド・テイクで終わった。間違いもたくさんあるんだけれど、ああいう曲にはこういったやり方があっていたと思うね」クラウス・フォアマン
このアルバムを語る上で欠かせないのが、アーサー・ヤノフ博士による プライマル・スクリーム療法です。簡単に説明すると、幼児期のトラウマ、満たされなかった欲求、愛情の欠如が感情を抑圧することにつながり、成人後に神経症や、感情的な問題を引き起こす原因になると考え、「原初の叫び(プライマル・スクリーム)」を表現させる療法で、具体的には、心の病の原因となった過去の情景(自身にとってはとっても苦痛なこと)を思い出し、再体験させ、そのときの感情を余すところ無く受け入れ・感じとることで正常な自分に戻っていくというものです。
1970年4月10日付けのイギリスの大衆紙デイリーミラーにてポールはビートルズからの脱退と1週間後に発売のソロアルバム『マッカートニー』の宣伝を行いました。
ジョンはこの発表の2週間後にアメリカに飛びこの治療を開始しました。このアルバムはその年の12月11日に発売されました。
同じ月の12月30日にはポールにより、アップル社と3人のメンバーを相手取り「ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消」の訴訟を起こされました。翌年1971年3月12日裁判所はポールの訴えを認め、他の3人は上告を断念したのでビートルズの解散が法的に決定されました。
この頃のジョンはビートルズ解散のゴタゴタなどに巻き込まれ、精神的にクタクタの状態で薬物LSDなどの悪影響などもあったので精神が崩壊しかけていましたので、精神科医の力が必要だったわけです。レコーディング前には洋子の流産もありました。
アーサー・ヤノフ博士------------------------------------------------------
「ジョンは私が診てきた患者のなかでもかなりの苦悩を抱えている患者でした。それに熱心で、とても真剣に取り組んでいました」
「あのアルバム(ジョンの魂)のなかに出てくることは、(中略)何曲かはディスカッションから生まれたものです」
「LSDは精神の健康に最も痛烈な打撃を与えるものです。こんにちに至るまで、わたしたちはLSDをやってきた患者をおおぜい診てきました。彼らの脳波のパターンは普通の人間とは違い、まるで抵抗がなくなってしまうようです」
アメリカ移民局がジョンのビザ期限切れを理由に国外退去を命じたので、始まったばかりのセラピーを途中で断念してイギリスに戻る事になり治療を中断することになりました。
「政府が治療を打ち止めにしたようなものです」
「最低でも13ヶ月から15ヶ月はかかるんです。私は3月から7月まで彼の治療をしました-5ヶ月です。その段階で二人は追い出されたのです。すべてが台無しでした」
「心配でした。だけどどうしようもありません。彼を狙っていたのは、アメリカ大統領(ニクソン)なんですから。そのあとは、ときどき連絡を取りあっていました。ジョンが写真や歌詞を送ってきたこともあります」
「私たちは彼の心を開いたまま、それを閉じてあげる時間がなかったのです」
------------------------------------------------------MOJO誌インタビューより
「セラピーでは、つらかったときの苦しみをまた肌で実感することになる」
「本当に苦しいよ。無理やり気付かされるんだ。夜中に飛び起きてしまうような苦痛が、他のだれのものでもない、自分自身の苦痛なんだってことをね。それは両親のせいでもあり、育った環境のせいでもあるのさ」 ジョン・レノン ヤン・ウェナーインタビューより
「彼はある意味、とても傷つきやすい状態にあった。たいてい陽気でハッピーな感じだったけど、かなり感情的で、よく泣いていたね。スタジオでも泣くんだ。心を開き始めたというプロセスに満足しているようにみえた。昔の体験をその時も肌で感じていたんだ。コントロール・ルームでも泣いていたよ。曲を聴いたり、ヨーコと話したり、歌詞の中のできごとを思い出したりしながらね。感情を揺さぶられているのがよくわかった」クラウス・フォアマン
治療としては失敗に終わったものの、アーチストとしてはその衝撃をアルバムという形で残すことができ、結果として出来上がったこの作品はロックミュージック初の赤裸々な自伝作品となりました。
そして作風はこれを堺に、「すっかり心のなかをさらけ出す」ように変わっていきました。
◆評価
ロック・スターの苦悩や感情をありのままに表現した最初期の作品とされ、発表当時から評論家などの評価も非常に高かった。大規模なアンケートで選出された『Rolling Stone's 500 Greatest Albums of All Time』(Wenner Books 2005)では22位にランクされるなど、数ある名盤ランキングなどでも、度々上位にランクインしている。wikiより
◆感想
初めてこのアルバムを聴いたのは発売されてから何年かたった中学生の時で、家庭問題を抱えていた私にとって「マザー」のシャウトは頭を思いっきりハンマーで叩かれたような衝撃がありました。そして同調しました。
当時悲劇のヒーローを気取っていましたが、こんなにも身近に同じ気持で、代わりに叫んでくれる人がいてくれたのだという事は、私の人生にとっては大きな救いでした。
ビートルズと出会い、ここではじめてビートルズじゃない本当のジョンと出会いました。
そしてジョン・レノンというミュージシャンが他のミュージシャンとは全く異次元の特別な存在であることに気づきました。
渋谷陽一という音楽評論家が「このアルバムは、人が人生につまずいた時、人間とは何か?という基本的なことを教え励ましててくれる」と言っていたのを思い出しました。
おまけ 半兵衛が中学生の頃の美術の時間で書いたものです。下手だって笑わないでね。