お盆に入り、昨日はさっそくお墓参りへ。
意を決して、3年ぶりに訪れることにしました。
母の実家の、南三陸町へ。
母親の実家があった場所にも行ってみた。
街ごと流されているので、街の景色はとうになく、
ここ、どの道路だ?!みたいな感じ。
で、撮ってみた。
手前がその場所。
見事に一面、草が生えていた。
あれだけ塩水をかぶっても、
草は、生えるんだなあと思って、
自然って、再生するんだなって思って、
それが、すごいなあって思った。
こっちにも、寄ってもらいました。
わたしは初めてだったので。
にぎやかで、お客さんもいっぱいいた。
志津川の水たことカニを買った。
わたしは自然卵のクレープを買って食べた。
夕方に帰ってきて、なんとなくベッドに横になったら、
そのまま12時間寝てしまい、朝になりました(笑)
なんとなく気がめいってね、行けなかったんよ、今まで。
震災の一か月後、仏壇のお位牌を探すんだっていうことで、
おじいちゃんと、母親と一緒に、実家に行ったんだけど、
そのときはもう、家の瓦すら、見つからない状態で、
あたり一面、空襲にあったような状態だったんだよね。
平気なふりにも、限界があってさ、
ああ、こりゃあもうだめだ、と思って、
わたしは気分が悪くなって、車の中に避難してました。
その時の写真は、まだカメラの中にあるんだけど、
ブログにのせると、トラウマになる人がいるんじゃないか、
というのは、きっとうそで、
私の中で、それがつらいと感じているからなんだろうな、
というのが、おそらく本音です。
というわけで、その写真、ここに載せたときは、
ある程度、心に区切りがついたんだな、
と、思ってくださいね。
うちの場合は、おじいちゃんが震災の前日に仙台に来ていたりして、
親戚とか、ご近所さんもみんな無事だったから、
津波で人を亡くしてはいないはずなんだけど、
それでも、なんか、背負ってしまうのかね。
悲しみと、つながってしまうみたい。
でもね、わたしは、そういう悲しみは、
残しておきたいとは思わないんだ。
いつの間にか、知らないうちに、
悲しみや苦しみに、自分を食わせてしまうから。
食わせそうだな、と感じたときは、
魔法の問いを投げかけてみるんだ。
「今、自分はどうしたいのか?」
悲しみに自分を食わせたいのか
それとも、より良きものに時間を使いたいのか
正直、何がよくて何が悪いかなんて、
最近は、わからないもんだなと感じてはいるけれど、
少なくとも、自分を食わせているときっていうのは、
自分でわかっているもんですよ、心地よくないからさ。
悲しみに蓋をするつもりはないけれど、
悲しみにくわれてもしょうがない。
まあそのバランスがつかめないから、
どっちか極端に、走りがちなんだけどさ。
でも、そうやって、やっていってみるしかないじゃん?
自分の中で、ほんとうは何が起きているのか、
気づいていくことの繰り返しさね。
震災は、そのきっかけに過ぎなかったってことも、
震災を味わって初めて、わかったことだからね。
人間の意識って、果てしない。(結局そこか笑)