今日のお花☆
なんと、お花は全部庭に咲いていたもの!!
こんなにきれいなブーケができるなんて・・・。
びっくり!!
お花がある生活って、いいよね☆
最近、ちょっと食べすぎています(笑)
こういうときって、だいたい自分では料理しない。
買ってきたものに、食らいつく感じ。
ということは、
今夜は、明日のランチの準備、しておきますか☆
わたしの場合、なんとなく、
顔がつかれているな、というときは、
感じたくない感情が、浮き出してきているみたい。
そして、ほとんど無意識に、
それを感じないようにするために、
あらゆる手を尽くそうとするみたい。
そういうときって、
あんまり、外に出たいと思わない、
ということにも、気がつきました。
で、わたしはあきらめて、
youtubeを見ていることが多いです(笑)
映像を見ていると、
何かの拍子に、感情がリンクして、
抑えていたものが、表に出てきてくれたりします。
そのあとは、疲れるか、すっきりするか、なので、
少し横になって、休みます。
こういう、一連のことをみていると、
いかに自分が、ネガティブなものを避けようとしていたかがわかります。
ポジティブに切り替えようという試みではなくて、
ネガティブを感じないために、あるいは遠くへと追いやるために、
ポジティブを、採用しようとしていたんだな、と。
わたしの中で、ネガティブは、
存在しては、いけないものだったのかもしれませんね。
けど、今までは、自覚がなかったのです。
自分が、ネガティブなものに対して、
そういう扱いをしていた、ということに。
だって、それが、あたりまえだったから。
自分の中で無意識に「タブー視」しているものに、
「OK」を出すのは、結構勇気がいりました。
だって、「タブー」だったんだから。
もっと言えば、
自分がそれを「タブー視」していることにすら、
気づかなかったわけだから。
タブーをOKにするということは、
自分の世界が、ひっくりかえるようなもので、
そんなことしたら、大変なことになるぞ!という、
おどろおどろしい声に、別れを告げることでもあります。
それをしたら、自分は、
ダメなやつだ、
何もできないやつだ、
生きている価値がない、
だらけている、ただのなまけもの、
時間を無駄にしているだけ、
甘えているだけ、
依存しているだけ、
etc.
そう、「自分」でジャッジしているから、
こわくて、できないんです。
そういう人間になってしまう、と「思い込んで」いるから。
もっと言うと、
そう見られたら、最後、
自分は、「批判されるべき人間」になってしまう、
すなわち、
もう、「愛されない」人間になってしまう、
と、思い込んでいるから。
けど、そんなこと、誰が決めた?
おそらくは、私の親が。
そして、それを真似して、私自身が。
そう、決めたのです。
じゃあ、やめればいい。
大丈夫、どうせ、愛されているから。
どうせなら、
どんなときでも、どんな状態でも、
私は、私のそばに、ちゃんといるって、
そう、決めたらいい。
どうせなら、ね。
人間なんて、いつだって、変われるんだ☆
今夜のカレー☆
トマトがなかったので、代わりに豆乳を投入!あれ?(笑)
そしてカボチャも投入!
前のより黄色く、かつ、カボチャの甘みが出て、
なんとなく、ココナッツカレーみたいでした☆
玄米と一緒に食べた~☆
今日は、なぜか山形と縁があった日。
朝、なんとなく、山寺に行きたいなと思って出勤し、
帰りに寄ったヘアサロンで担当してくださった美容師さんは、
なんと、山形出身。
バラの香りのトリートメントをつけてもらったので、
近所のヨークベニマルで、よくバラを購入する話をしたら、
そういえば、そのバラも、山形産だったなと思いだす。
家に帰ると、どういうわけか、
キッチンのテーブルの上に、「るるぶ山形」!!!
2010年版だけど。
・・・これはもう、行けってことだな!!と思って、
パラパラと開いたら、
・・・おお!蔵王のお釜という場所が!!
トレッキングによさそうじゃない?!
羽黒山よりも近そうだし☆
いいとこ見つけた(^^)
ありがとう☆
山歩き、6月あたりから始めるよ![]()
最近、おもしろい本を読みました。
漆黒の表紙に、ナポレオンヒルの写真。
その名も、「悪魔を出し抜け!」という書籍。
流される人間と、流されない人間について、
悪魔との対話形式で、書いてあります。
おもしろかったです。
自分の生活はどうかな?って振り返ってみると、
認めたくはないのですが、
あれが悪魔の仕業か、と思うようなことが、
結構あるからです。
無意識になっているとき、
つまり、自分が流されているとき、
そういうときが、わたしにとっては、
いわゆる「落ちていると感じるとき」なのかも、と。
頭がぼーっとしてたり、
とりあえず、目の前にあるものでおなかを満たしたり、
なんとなく、すすけた気持ちが心の中を占めていたり、
そんな状態になっているときって、
私の場合、自分をどこかであきらめているんですね。
なんか、もう、どうでもいいって。
大げさに表現すれば、
静かな絶望の上に、生きている感じです。
こういう感情は、あまりにも自然にやってくるので、
そういう状態になっているときは、
自分でも、気づいていなかったりするのです。
だから、普通に流されていく。
数年前から、そういう状態に、
なんとなく、気づくようになりました。
けれど、気づいたところで、
自分では、どうにもならないと思っていました。
なんか、もう、どうだっていい。
この気持ちの方が、
わたしのこころを、支配していたのです。
というか、支配させていたのです。
どうせ、何も変わらない
どうせ、幸せなんて「感じられない」
どうせ、わたしなんて何もできない
どうせ、出口なんて見えない
どうせ、助けなんてこない
どうせ、耐えるしか方法なんてない
どうせ、どうせ、どうせ・・・
ところがですね、
最近、この「どうせ」を、
魔法の呪文に変える方法を知りまして、
通勤中とか、休憩中とか、よく使っています。
おなじみの方も、いらっしゃるかな☆
どうせ、わたし、愛されてるから
どうせ、わたし、好かれてるから
どうせ、わたし、有能だし
どうせ、わたし、優秀だし
どうせ、わたし、うまくいくし
どうせ、わたし、しあわせだし
この言葉には、前提を変える効果がありますね。
どうせ・・・に続く言葉は、
自分が心底、信じているものを、表しているんだなあ、と。
だから、どうせ・・・(ネガティブな言葉)が続くと、
そのように、現実が作られていくんですね。
だから、どうせ、愛されていることにしておけば、
愛されている現実が、その瞬間から作られていく。
それが、どういうことなのか、知らなかったとしても。
それが、どういうことなのか、わからなかったとしても。
どうせだったら、そういう人生がいいなあ、と思って、
どうせ・・・(うまくいっている状態の言葉)のセット、
日常使いです(^^)
現実って、こんなに簡単なことで、
簡単に、変わっていくんですよね![]()
要は、やるか、やらないか。
これは、意志の力というよりは、
自分が、その慣れ親しんだ、すすけた感情から、
離れる準備ができたかどうか、かもしれません。
慣れ親しんだものから離れるのは、
それがたとえ、ネガティブなものだったとしても、
自分で思っている以上に、抵抗しているものです。
自分をよーく観察していると、
とてもよく、わかります(笑)
だから、もう、
どうせ(ネガティブな状態)に、
「飽きたら」
その言葉、手放してしまえばいいのかも☆
不幸や悪魔と、飽きるまで遊んだら、
バイバーイ!!って自分へと帰ってくること。
大丈夫、どうせうまくいくし、
どうせ、愛されて生きているから(^^)