気が重いとか

気分がのらないとか

逆に、晴れ晴れした気分とか

単純に、いい気分とか、色々な表現がある。

 

ワークショップ後の先生のブログで

「気分を再現する」ということが書いてあった。

自分のコピーをするな、というタイトルだ。

うまくいったときに、その結果を再現しようとするが

そうではなく、うまくいったときの心理状態、氣分をコピーする。

その氣分、雰囲気だ。

 

そして、そこまでのプロセスをたどり

映像化し、氣分を再現できるまでする。

すると、氣分が同じようになるので、うまくいくが成功する

確率があがる。

 

今日、休日だったがずっと氣が重かった。

もう一つのバイトで、若い20代後半の男子がいる。

前回のバイトのときに、少し意地悪っぽく接してしまった。

伝え方が分かりづらかったのと、態度がむかついたからだ。

それこそ、その氣分のまま、仕事をしてしまったので

ぶつかってしまった感じになった。

 

社長から、そいつが自分を嫌っていると話があった。

自分で種をまいておいてなんだが、殊の外気になってしまった。

朝起きてから、ずっと氣にしてしまっていた。

自分でも驚くくらい、こういったことに弱い。

人から嫌われたり、拒絶されることに

コンプレックスのようなものがある。

 

だから、よく見ていくと

そいつは関係なくて、そう思われている自分が

居心地悪いだけで、自分勝手にそう思っているだけだ。

 

なので、結論は、氣にしても仕方ない、だ。

仕事をしていれば、想定内のいざこざだとうと思うからだ。

とか、こういうことをずっと考えてしまった。

 

一体何だのだろう。

しかし、実際にものすごく気になってしまうのだ。

そんでもって苦しいのだ。

楽になりたくて、すぐ電話して謝ろうかとか

逆に、一発かましてやろうかとか考えてしまう。

いつものパターンだ。

 

この氣分のとき、そして仕事でぶつかりそうになったとき

相手を言い負かそうとするとき

確かに、そういった「氣分」になっている。

 

今日施設で知的障害のある子を、キレさせてしまった。

大切なこと、指摘してわかってもらいたかったことと

キレさせてしまったことが、実は違うと気づいた。

 

前々から気づいていた。

自分の我なのだ。本当に、人間は色々なことを

勝手に感じ取っている。

それも微細に、精妙に感じ取っている。

本人がわかっていようといまいと。

 

今日は、ワークショップの雰囲気から考え直すと

だいぶ違った氣分だった。

先程書いて、重い氣分も影響していたかもしれない。

 

ちょっとイヤミのような、ムカついた気持ちがあって

指摘した内容に乗っかっていた。

相手の気持ちの行く場所がなくなったのがわかった。

もう怒るしかなくなった。

 

怒ってもいいし、その後話すこともできた。

ムカつかせたかもしれないと話せたし

相手も気持ちをいってくれた。

起きたことは起きたこと。

 

こういったことを、どう振り返ればよいのか。

そこも大きな課題だ。

 

自分勝手な反省は、ただのマスターベーション。

 

そうではなく、力につながる振り返りにしたい。

 

であれば、何が大切か。主観と客観の両輪だろうと思う。

 

うーん、しかししっくりこない。

 

先日の氣分で、色々やってみよう。

違いは、今はわかりかけているのだから。