前回書いた時から、あっという間に半年が過ぎていた。
思えば、このブログは文章を書く練習として沖縄で始めたもの。
そして、それは日野先生からヒントをいただいた自分の混乱した頭をどうにかしたい、からだった。
文章が得意な友人にお願いして、最初は二人で始めた。
小学校低学年レベルの文章を要約して、赤ペンを入れてもらい、再度書き直す、というもの。
これは、とても役に立った。
どう役にたったかというと、自分の頭の混乱っぷりが、よく目に見えてわかったからだ。
混乱っぷり、というのは、自分にとって関係があるのかどうか、という視点から見たときのことだ。
いくら文章として整っていても、自分が取り組んでいることに対して、頭を使って考えられていなければ、それは頭の中のだけのことで、実際の自分とは全く関係がないのだ。
そんなことに、気がつかせてもらったのが、日野先生であり、武禅であり、武道であり、日本の文化なのだと思う。
沖縄で30過ぎて大学生になり、資格もとり、色々勉強できたことは、今思い返しても、とても楽しい時間だった。
だけれども、実際今自分の人生に役立てられているのは、その勉強した知識は少しで、一回り以上年の離れた同級生や友人との時間だったり、集団の中での自分を経験できたことだと思う。
役立てられているのは、なぜなのか。
それは、私が依存症当事者で、施設で時間を過ごし、12ステッププログラムに取り組みながら、自分の生き方を問題にできていたからだ。それは、今考えて、とても大切なことだし、自分が思っているよりも、他人にはわからないことみたいだ。
自分の生き方が問題であることは、施設に入ってくる人なんかは考えなくても突きつけられている。
ほとんどの人が、本人はそう思っていなくても、生きることがどうにもならなくなって、たどり着くからだ。
死んでしまう仲間も、目の当たりにしながら、、。
死んでしまう、ということが、最大の生き方の問題だ。
これ以上わかりやすいことはない。自分の命を、脅かす生き方をしていることが問題なのだ。
ここを原点にできたことが、非常に重要なことだった。
経験を役に立てるには、気づきを行動に繋げていくには、普段の生活でいかに問題意識を明確に持っているか、が重要になる。
それがなければ、言葉遊びをしているだけで、全部流れてしまう。
私にとって、今も続いている大きな課題は、怒りの感情のコントロールだ。
ただ、こう書いてしまうと勘違いしてしまいそうだが、何かの方法や療法で変えていくということではない。
この気づきは、自分の成長だと思う。
理由を考えればキリがないし、あまり意味はない気がする。
大雑把に言えば、「ええ大人やろ、いくつや思うてんねん」ということなのだ。
自分のことしか考えられなかったから、見えていなかったから。
やったことがなかった、知らなかった。
そしてそして、一番大切なのが
「あなたは、どうしたいの?」
ということなのだ。
本当に、本当に、こんなことなのだ。
こんなことが、人生にとって大切なことなのだ。
林業会社に就職して一ヶ月。
母にイラついて、壁を殴って骨折して、いきなり休業。
首にならずに、先週から復帰。
猛暑でぶっ倒れそうになりながら、なんとか一週間。
今ここ。