ワークショップ二日目。
今回は参加人数が少ない。
そんな中、バレエ教室の子どもたちが大活躍。
大人にも物おじせず突っ込んでくる。
質問を振られるだろうと考えていたが
大滑りのうえ、いつも通りの???になってしまった。
前回のコンサートの終わりに
原田先生が質問してくださった
「客として、もっと楽しむには?」
に対しての、日野先生のお答えに
「気持ちが動いたら声をだせ」
が、とても印象の残っていた。
好きな女性に彼氏がいて
気持ちをLINEで伝えたものの
自分の方では伝わっているだとうと
勘違いしていたことを、相手からの
返信で知り、驚きと戸惑いとがあった。
関係、ということで言えば
全部自分の中だけで妄想していただけで
相手とは、何も始まっていなかったし
だから終わりもないことが
ただ、寂しく、悲しかった。
そんな人生を歩んできている。
自分の人生がはじまってもいない。
そんなのがごちゃごちゃになって
質問の意図もはっきりしないまま
出した。
「自分の内側で起こっていることと、
外側でおこっていること、それらがごちゃごちゃやから
何が言いたいのか、さっぱりわからない。」
小学校6年生の女の子からも
今回はまっすぐな言葉をたくさんもらっている。
ただ、自分がきけておらず、自分に残っていない。
こんな悲しいことがあるか。
自分に恥ずかしくなる。
一体、何をしにワークショップに参加しているのか。
これが、宝物なのだ。
「なんで相手のことがきになんねん」
先生から、何度も指摘されたことだ。
自分のことなのに、周りがどうとか、一般的にどうとか
そんなことを並べ立てていた。
結局、自分がしたいことを誤魔化している。
はっきりさせないようにしている。
なぜだ。
いつまにこんな風にしちまった??
まったく単純な自分のことを
誤魔化している!?
そしてそのことに不平不満、問題を勝手にでっちあげて
大変だ大変だとやっている。
確かにやっていて、これが
まったく現実と関係していないことが大問題だ。
生きてても死んでても関係ないからだ。
それこそ、一生やっていろになってしまう。
相手がわかってくれる、わかってもらえるという前提。
そんものは、一切ないと先生は言い切っていた。
だから、コミュニケーションするのだと。
だから、必死に聞くのだと。
理解しようとしないと。
それは、理解しようがないからだ。
その前提があるのだ。
そしてそれは、そのことがわからないとできない。
僕がガキなのは、ここの経験が死ぬほど足りないからだ。
お花畑で育ってきたからだ。
わかってもらえるだろう。
つたわっているだろう。
この前提が、今もこれまでもトラブルにしてきた
大きな原因になっていないか。
これは、親に対する甘え、今もやっている甘えそのものだ。
親なんだから、わかれ。わかろうとしろ。
こんな感じを、他人にもやっておしつけている。
だから、自分も不明確なのだ。
わかってもらえるだろうとしてしまうから
自分がどうしたいかが、明確にならない。
そのままあきらめる。
何もかもが、ぼやっとしている。
はっきり、こう捉えた。
こう考えた。こうしたい。を決めてみる。