最近の徒然。
家の中に、やたらスイッチョがいる。
一体どこから入ってくるのだろう。
網戸にはしているし、ドアはしまっているはず。
通じている穴があるとすれば、下水の配管くらいか。
先週は、Hulaの神津島合宿があった。
オンラインクラスは、正直きつくて、僕には合わない。
2時間のうち、踊るのは終わりの15分とか長くて30分。
それまでは、参加者のシェアタイムなのだ。
その中の数人に囚われていて、どうにも苛ついてしまう。
神津でも、どこか気持ちが逃げ腰だった。
それで二日目は、神津の仲間に苛ついて、態度に出てしまった。
それに自分が嫌になってしまって、熱中症っぽい症状もあり
寝込んでしまい、そのまま声もかけられず、夕方の浜辺のレッスンは
飛ばしてしまった。
声もかけられないことにも、なんだか寂しさもあり。
なぜここにいるのかわからなくなったのと、離れるときなのかと思った。
天上山で奉納の踊りをしたのだが、自分の踊りのいい加減さを思った。
ただ、お祈りは素直にできた。
離れるタイミングなのかなというのは、ここのところ考えていたことでもあった。
カヒヒコロを編みに近所に集まったときも
妙に疲れてしまった。
ただ、実は参加者のほんの数人が嫌になったことが大きいかもしれない。
それから、先生のセッションを受け始めた人が多くなったことも。
Hulaのレッスンと言うより、自己啓発のような面が大きくなりすぎた気がする。
切り離せるものではないが、軸が合わなくなってしまった。
沖縄では、毎週のリアルレッスンだったので、そうはならなかったのだが
オンラインになり、踊る時間よりもシェアの時間が数倍長くなったことがきつい。
それが自分の何を表しているのか。
反応している相手は、自分の何を写しているのか。
その人達への文句は、そのまま自分がやっていることだろう。
大きなものは、自分にとって大切な時間の個人的な体験への一方的な発言だ。
それは、とても失礼だし、暴力的に感じた。
ずるさも感じた。卑怯さだ。
他人が自己開示したことに対して、上乗せして自分のことを話す人はよくいる。
自助グループで長年を過ごしたことも大きいが、言いっぱなしの聞きっぱなし、ということが
ルールになっている。場の安全のためだ。
もう一つは、グループの場で、個人的な相談をする人だ。
気になりだすと全てきになってしまう。
他の人と話をしている内容が聞こえてしまうだけで、ジャッジをしてしまっていた。
話している相手を褒めているのだが、褒め方が気持ち悪いのだ。
同じことを自分もする。
共通して、その後自分はこの人たちには評価されない、受け入れられないんだっておもう。
そして、どう考えても、これらのことはどうでもいいことだ。
私の人生には何一つ関係ないことだ。
しかし、お風呂に入ってずっと考えていたこともあった。
それくらい、刺さっているのだ。怒っていた。
合宿の最後のシェアタイムで、自分は冬至をもってコミュニティを抜けると宣言した。
この場で言う必要もないか、とも思ったが、正直になってみようと話してみた。
先生からは、後で「八つ当たりっぽかったけどね」と言われたが、、。
たしかに、声をかけられなかったり、グループへの疑念があって、それを隠した形でいたかもしれない。
先生には、見抜かれる。だから先生だし、これまで通ってきたのだ。
ただ、母のこともあって、今本当にきつい。
林業もきつい。
でも、やるしかない。
やらなくてもいい。
どうするか。どうやるか。
あ、忘れていた。
昨日今日は、埼玉県の林業技術者育成研修だった。
総勢8名の参加者。
なかなか、面白そうではある。
弟子入りしたい地元越生の方には連絡が取れず。
これもなかなか、思うようにはいかない。