昨日は、父の職場であった自治労本部で

有志の方のお陰で父を偲ぶ会が行われた。

 

たくさんの方が参加され、とても驚いた。

葬儀の時よりも多かったのではないか。

 

ともに労働運動を戦い抜いた戦友のような感じだろうか。

父の思い出話を聞きながら、そんなことを思った。

 

社会の中での父の姿を、私は殆ど知らない。

見る機会も少なく、なんとなく偉い人ぐらいに思っていた。

大きな組織のトップ、そんな風に思っていて、結構自慢に思っていた気がする。

何かあったら親父がでるぞ!みたいな妄想だ。

 

大きな組織のトップ、という肩書ではなく

仲間としての父の姿を、昨日は聞けた気がする。

もちろん職種、立場があっての仲間であり、友人ではない。

そんな父の働く姿を、私は知らないままだった。

 

感動したのか、はじまってすぐ、涙が溢れそうになった。

こうやって、仕事をして、家族や私を支えてくれてきたのは

間違いのない事実で、それが染みてきたように感じた。

 

2時間程度の時間で、当初親族の挨拶として、何を伝えたら良いのか。

父が伝えたいことはなにか。参加してくれた方々の人生に

父の生きざまが少しでも役に立てば、という気持ちだった。

 

それでいうと、私からは退職後、私が社会復帰施設へ入所する前後。

そこからの父の姿しか思いつかなかった。

 

また、社会の顔と家庭の顔の違い、ギャップ。そんなことを考えていたが

仲間の方々の話を聞くうちに、気づいたことがあった。

 

ああ、親父はどこにいても親父だった。

めんどくさい部分は、会社でもめんどくさかった。

それが仕事ではプラスに働いたり、誰かの迷惑になったり。

それでも、父は暖かく、参加してくれた方々の中に生きていた。

 

そのことが、とても嬉しかった。

どこかで線引をして、親父を決めつけていたのは私の方だったのだ。

親父は、いつも家族を愛していた。

そこは不器用で、自分の気持ちを伝えることが苦手だったが

私とは違い、一貫した姿勢で仕事も家族へも向き合っていたのだ。

 

母の挨拶も立派だった。

マイクを向けられると自動的に話すのか。

いつもならアタフタするであろうに、シャキンとして挨拶をまとめた。

 

私の仲間の先輩ご夫婦も来席してくださった。

ともに苦しい時間を過ごした先輩と、そのお母様は、両親とも親交があった。

苦しい時を支えてもらった。

その方々に、職場での父の姿に触れていただけたことは、とても嬉しかった。

 

私は、一応用意した原稿があったが、全部飛ばしてしまった。

気持ちが溢れてしまい、何を話したのかはほとんど覚えていない。

 

越生に引っ越した本当の理由。

私の引きこもり、依存の話。

父の決心と自助活動。

そんなことを話したと思う。

 

組織人としての父の話から、一人の人としてのストーリーへ。

参加者の方も、一人の人として話を聞いてくださったように思う。

 

最後に、父からのメッセージをいただいたので残しておこうと思う。

 

「光と影は 表裏一体。

もとから、同じものなんだよ。

 

太郎の怒りは

僕の怒りと同じだ

向かっている先が違うだけ

闘い続けたのは

自分の弱さを認めてなかったからだ

 

自分の弱さを 認めた時

神が降りてきて

音楽を与えてくれたんだ

 

人は弱さを怒りでかくす

 

本物の怒りは 大切な者たちを

護るために使うんだよ」

 

感謝。