9ヶ月ぶりだ。父が3月2日に亡くなり、あっという間に3ヶ月が過ぎた。

言葉が進まない。まとまらない。

 

昨年の今頃に、体調がおかしい、体重の現象が著しいと連絡を受けていた。

私の方は、新しい職場に四苦八苦していた時期だ。

 

結局、8月で退職することになるが、その時点でも父の病名はわからなかった。

ただ、退職の理由として利用者の方に言っていたのは、父の体調のことだった。

それが本当に図星になっていった。

 

埼玉へ帰省する流れは、本当に不思議だった。

次の職場もほぼ決まっていたが、直前の社長との面談で流れた。

友人が遅刻したのだが、私が一人で社長に会えたのも、秒単位で

タイミングが合わなければ起きなかったことだ。

 

その後モヤモヤしながら埼玉へ戻り、仲間や先輩から声をかけていただき

人に会いながら、沖縄での再就職先も探しながら、大きな流れを受け止めていった気がする。

 

埼玉へ帰れ、ということだなと。

大きな決断ではあったが、あまり時間はかからなかった。

大きくことが動くときは、こういう風になるのは、HPから教えてもらっていたし。

 

同じ時期に、父の末期がんがわかり、余命も年内かということだった。

父が死ぬ、全く実感がわかなかった。

 

介護の準備を進めても、父も私も、この頃はまだ本当に必要になるのかわからなかった。

父も人が変わったようになり、関わるのが一層難しくなった。

父なりに、人生の最後を、準備していた。

 

姉も帰国し、本当に久しぶりの家族全員での生活が始まった。

なんどもぶつかり、何度も大暴れをした。

自分が嫌になり、馬鹿なことを繰り返した。

一ヶ月はあっという間にすぎていった。

まだ、父は元気で、自分で動いて過ごしていた。

 

母へ父の病名を伝えたのは私だった。

父からお願いされて、どう伝えるか躊躇した。

とても辛いことだったが、伝えなければならないと思った。

しんどいことがあったときに、いつも会いに行っている大楠の大木が浮かんだ。

そうだ、あの木の麓でつたえよう、そう決めた。

母を誘って大楠に会いに行った。

そして、伝えた。

 

母は、目を見開いて、震えながら聞いていた。

涙が溢れて、それでも気丈に受け止めていた。

言葉はなかった。

ただ、ただ、大楠を見上げていた。

 

それから、時間はあっという間にすぎていった。

 

恐れていた癌の痛みは、幸いにも出ないままだった。

食欲も、年内は変わらずに、好きなものをたくさん食べた。

年末には洗礼も受け、信仰へ向かっていった父。

 

そいういえば、ここ数年は、実家に戻るたびに

眠る前に布団の上で祈っている父を見かけていた。

12ステップを本当に深く勉強し、実践してきた父にとって

キリスト教の祈りは、とても身近なものだったのだろう。

父の幼少期の親友との思い出話に、キリスト教が出てきたのは

驚きだった。そして、それがずっと父に突き刺さっていたことも。

 

どこかで、ずっと罪に意識に苛まれていた人なのかもしれないと思った。

父は、毎晩うなされていた。

うめき声のような、苦しそうな声をあげるのだ。

慣れてしまっていたが、ずっと気になっていた。

 

2023年の年明けを迎えた。

大晦日は姉が機嫌を悪くして、部屋に引きこもってしまっていた。

母となんとか一緒に作り上げたおせち料理が揃った。

私はいつも愚痴って、文句を言っていたなぁ。

言葉少なく、感想も言わない父に、だいぶさみしいような気持ちを抱えて

でも父は、最後になったお節を食べていた。

 

その一ヶ月後、2月に入ると、ついに食事が取れなくなった。

あまり苦しい感じでもなく、ただ取らなくなった。

取れなくなったのだろうが、ほとんど食べなくなった。

 

おかゆや、好きなものを作ると、少量食べるときもあった。

それを準備して、自分の用事で家をでないといけなくて、母にお願いしたが

母は忘れてしまって、捨てられていたこともあって、ひどく母に怒ってしまった。

母もとても悲しそうで、自分もやるせなく、悲しかった。

母は、いつも自分を責めるようになっていた。

 

自分の存在が邪魔になっている。役に立ちたいのにいつも怒られる。

母もギリギリだったと思う。

寝不足で、イライラしていた。

排泄の介護も入ってきたあたりで、また母にキレてしまったことがあった。

何かあって、自分を責めだしたのにイラついて、母もイラついて、私はキレてしまった。

小さな母をつかまえて、その場に投げ倒してしまった。

パニックになり、わめく母の声が響き、導入したばかりの介護ベッドに寝ていた父が

フラフラになりながら心配して起き出してきた。

姉も呆れながら心配している。

一体何をやっているのだ。

こんなことなら、私はいない方がいい。

本当に苦しい時期だった。死んでしまえるなら先に死んでしまいたいくらいだった。

仕事もない。

嫁も家族もいない。

この先に希望なんて何もない。

ただ、父をこのまま逝かせてたまるか、その気持だけだった。

それなのに、行動は真逆を繰り返してしまっている。

何度も思い返し、決断して、行動しようとしても、同じことを繰り返した。

 

苦しかった。

何度も自分を殴りつけた。

何も、変わらなかった。

当たり前だ。

行動を変えるだけが答えなのだ。

 

最後の一ヶ月。

父が動けなくなり、入院を決めた。

自分の言動や行動も嫌になったともう。家族へ気を使ったのだと思う。

それはわからない。

 

結局一週間入院した。

オンラインで面談を繰り返したが、このまま病院で死を待つくらいなら

どうしても自宅で過ごさせてあげたかった。

担当看護師へその旨を伝えると、すぐに医師から連絡は入り、退院の流れが決まった。

父の残された時間は、そう長くないと伝えられた。

 

目の前で、弱っていく父を前にしても、まだ死を実感できなかった。

退院して一週間後に父は死んだ。

 

この一週間を、私は忘れない。

この間にも、姉とぶつかり、何もかも嫌になった。

家族の縁を切ろうと思った。

父を一番にすることが、最後の最後までできなかった。

 

それでも、この一週間。

父は私を待ってくれていたのだと思う。

世話をさせてくれたのだと思う。

話せなくなった父。

 

大きな大きな何かが、崩れ去ろうとしている。

家族を想い、彼なりに本当に尽くしてきた人生が終わろうとしていた。

最後の最後、下顎呼吸がはじまったようにみえて、私は父の近くにいった。

母がそばにいたが、出ていってしまった。

気にはなったが、そのまま父の近くにいた。

キッチンで、母と姉が、楽しそうに食事の準備をしている声が聞こえる。

家族だ。普通の幸せの暮らし。

 

そんなとき、ふと天井から何かが見えた。もしかしたら、お迎えがきたのかもしれないと思って

父にもう一度、ありがとうを伝えた。

その手は、もう握り返してくれなかったが、気持ちは受け止めてくれたように思った。

その直後、静かに呼吸が止まった。

私も、あっと思ったが、静かに父を見守った。

そして、脈をみて、動かなくなった父の目を手で伏せた。

母と姉には申し訳なかったが、少し二人でいさせてもらった。

 

お父さん!お疲れ様でした!ありがとうございました!

 

父に最後のあいさつをして、泣いた。

 

父は旅立った。

キッチンにいた二人に伝えた。

 

泣きながら、父を囲んだ。

帰国のスケジュールが迫っていた姉は、直前にパートナーとその話をしていたらしい。

自分がそんな話をしたから、お父さんが逝ってしまったと責めていた。

 

何もかも、かっこつけすぎだよ、お父さん。

 

不思議だけど、父の死に顔は、本当に笑っているみたいだった。

これを見れたのは家族だけだ。

そして、僕たちも笑っていた。

なんでだろう、みんな笑っていた。

 

お父さん、もう3ヶ月がすぎたよ。

私は相変わらず、ぐーたらしている。

母さんとも、なんとかやっているよ。

 

天国から、見守っていてください。

あなたからの伝言は、守ります。