3月で保健所の仕事を終えた。
月末に1週間埼玉へ帰省した。
福島で恩師たちが支援活動の一環で
昭和歌謡コンサートを行うというので
せっかくだから、両親を連れて温泉旅行に行ってきた。
往復700キロくらいあって、思ったより時間もかかり
両親を疲れさせてしまったかもしれないが
とても良い旅だった。
温泉もコンサートもよかった。
途中、立木観音様に参拝にいったが
とても立派な観音様で驚いた。
年老いていく両親。
相変わらずな自分。
保健所での勤務は、自分を成長させてくれたことは
間違いない。どのようにか。
具体的に考えていくことが弱い。
具体的に実践、検証しなければ力にならない。
やったことがないことに取り組んだ。
職場で立て続けにトラブルを起こし
日常でもあちらこちらで揉め事を起こす。
その自分をどうしてやるか、がスタートだった。
施設から大学、バイト、12ステップ。
セミナーと日野武道。
私は何に自分の人生の時間を使うのか。
いや違う。
自分の人生の時間を使って取り組むのだから
余計なことに時間をつかっている暇はないはずなのだ。
しかし、実際は余計なことばかりだ。
余計な、とは自分とは関係がないことという意味だ。
逆に自分にとって大切なことは、自分が関わっていることだろう。
それが具体であり、自分の目の前のことだ。
自分が大概主張し出すめんどくさいことは
頭の中の世界で、相手がいることが前提にない。
だから、当たり前だが噛み合わない。
それでも押し出すから面倒臭いのだ。
考え方を根本から変える必要がある。
このままでは、どうにもならない。
具体的に取り組むには具体的に考えるしかない。
何が保健所でしんどかったか。
毎日、自分の反応を抑えることで精一杯だった。
仕事そのものよりも、同僚にどう思われているか。
うまく関係が気づけない(と思い込み)
そのことの不安の上で働くこと、苛立つ自分をおさえること
意味のわからない指示で、無駄の多いやり方で
上司にいらつく態度が出てしまったこと。
仲良くなりたい同僚から、そっけなくされて
子どもみたいな態度をとりたくない、ちょっと出てしまって
落ち込んだり、また関係を取ろうとして変になったり。
そのことで落ち込んだり。
自分は当然と思い、接したことが、相手にとっては
かなり不快で関係を拒絶されたこと。
そのことに強く反応して、攻撃の気持ちが強くなり
出たり引っ込めたりしながら、迷ったこと。
保健所という社会では、圧倒的に立場の違いがあること。
世の中の45歳とは、埋めきれない溝があること。
自分の経験や体験などクソの役にも立たないと思うこと。
役に立てるには、それ相応の気持ちがないと話にもならないこと。
そして、自分にはそれがあるのか甚だ疑問なこと。
それよりも、目の前のむかつくことに反応して終わってしまうだろうと
自分をこれ以上どうしていいか、人生の喜びがこの先あるのか
人と関わっていくこと、生きていくことに
どこか適当になっているような気がしていること。
それでも
生き抜いてやろうと思う。
それでも
クソめんどくさい自分だが
やっていくしかない。
急に、人が離れ出したりしている。
急に、連絡がとれなくなったり返信がなくなったり。
和らぎを持って
たっとしとなす。
人と争うことなきを
むねとせよ。
まあるくまあるく。
にっこりにっこり。