沖縄へ戻ってきた。
空港近くへ路駐していたバイクが心配だったが
無事な姿で待っていてくれた。
台風が来ていたので、心配だったのだ。
沖縄へもどり、今回の帰省を振り返る。
相変わらず、ガキのままで親に感情をぶつけてしまうことは
何度もやってしまった。
直前のキネシオロジーのセッションにあった
互いの正しさを譲らず、ぶつけ合う、というは
まさにそうで、そしてそれ以上でも以下でもない。
ただの意地の張り合いだ。
本質を何とするか。
本質は本質だと思う。
しかし、人との関係において
本質とは、なにか。
関わりの本質とは、一体何なのか。
つまらないことで、今回もたくさんイラつき
むかつき、ぶつけ、葛藤し、自己嫌悪した。
いつもの家族劇場だ。
しかし、状況が変わった。
母が認知症になり、明らかな症状が見えた。
家の中の状況も、これまでとは違ってきていた。
父は、本当に懸命に、それに対応しようとしていた。
飼い猫も、そこかしこに粗相をするようになって
家のいろんな所から、猫のおしっこの匂いがする。
と、まあ色々起きてくる。
父も80歳になり、テレビを見る時間が長くなった。
テレビからのコロナの情報を見てなのか
もともと不安が強く、神経質な面も影響してか
ほとんど引きこもりだ。
ご近所さんとも、疎遠になっている様子だ。
それでも少しづつ、会う機会は増えている様子もあった。
母は、人とあってお喋りをするのが好きなので
これからは、そういった時間がより大切になる。
二人で散歩した湧き水のポイントでは
本当に楽しそうに、嬉しそうに、感謝しながら
道を歩いていた。
子どものようでもあり、人生の終盤を迎えた
一人の女性にも見えた。
今回、親父と強くぶつかってしまったときのこと。
親父に、はじめてだと思うが、言ったことがあった。
「これからは、そのままの言葉を受け取るようにするよ」
僕は、癖になっているのだが、親父に対して
常にイチャモンをつける。文句、というよりは
こうしたほうがいいのに、とイチイチ言葉を挟むのだ。
しかし、僕と親父は考え方がかなり違うので
当たり前だが、食い違う。それを、ただ認めることができずに
ずっとずっと、ぶつけてきたのだ。認めてたまるか!っていう
気持ちだ。
ちょっと前から、どうしてこう食い違うのか、気がついたことがあった。
それは、お互いが、「自分は、こうしたい」「こう思っている」
を、明らかにしないまま、あやふやのままだからだ。
そういうコミュニケーションの癖が二人ともあると思う。
それが出来上がった理由を考えれば、いろんな仮説が思いつく。
それもあーだこーだと、今回はぶつけてしまったが、、
そして、自分はこうしたい、から関わろうとすると
とても身構えてしまうことにも、気がついた。
話が飛躍してしまうが
なぜ、自分がこうも人から理解されたい、と
強く思ってしまうのか、それから不安を感じてしまうのか、
その根っこは、ここだと思ったのだ。
そして、親父も、その気持を安全に、安心して
他の人と共有するような家族ではなかったのだと思う。
今回、最も大切なポイントは
信頼や愛情は、すでにそこにある、という事実だ。
こう書くことでもないくらい、当たり前のこと。
それを、疑い、自分の思う通りにしたいというのが
自分の苦しみの大きな葛藤の原点。
これを超えるのは
方法や考え方ではない。
今回、気付き、こうしようと決めたこと。
オヤジの裏をかかずに、そのままを受け止めることだ。
僕が勝手に心配して、母や父の先回りをして
勝手に色々やっていることも、実はうそくさいのだ。
本当はどうなのか、見る勇気が、聞く勇気がなかっただけだ。
器が大きくなるとき、光も闇も
同時に一回り大きくなる。
そんな話をHulaの先生から教わったのだが
広がった闇の表現をすることも、大切なこと。
今までは、ギャースカ寂しい寂しい!
認めて認めて!わかってわかって!けっ!どうせ僕なんか!
いないほうがいいんだろ、、ってわめいていた。
広がった闇が教えてくれたもの。
それは、自分の本音を自分で見ずに
裏切りづつけ、大切な人を傷つけてきたことへの
悲しみと怒りだった。
それを、自分自身がやっていると認めることが
親父にもとめていた間違っていると認めろ!という
気持ちは、自分が見ないようにしていた自分の姿だった。
それが光に転じるとき
ただ、相手を受け止める、オヤジの話をそのままきく
母の気持ちをそのまま受け止めるになった。
そして、自分がこうしたいと
こう思っていると、自分がまずわかること。
万事、こういうことだ。
両親の命の限りが間近になり
切羽詰まったおかげだ。