東日本大震災から10年がたった。

あの日は、埼玉の川口でビルの8階にいた。

あるセミナーを受講していたが、揺れた?と思ったら

部屋がぶっこわれるかと思うほどの揺れがきた。

 

天井にぶら下がっている蛍光灯は

今にもおっこちてきそうに

左右に大きく揺れている。

 

揺れが収まると

すぐに避難の指示がでた。

出口のドアを押さえていると

登壇していた先生が「早く逃げろ」と言った。

その先生は、我先にと右往左往していた。

 

こんなことは言いたくないが

非常時に人の本性が出る。隠せない自分がでる。

 

この10年。

それぞれの10年。

 

地震から半年たった9月ころ

山形経由で、石巻へボランティアへ行った。

翌年の3月にも少しだけ参加した。

 

当時は、沖縄で大学生だった。

大学からは、現地の様子がわからなく

ジャマになる可能性もあるので

ボランティアの参加は慎重にと案内があった。

 

しかし、山形の先輩から

「見に来るつもりでかまわないから、来て」と

話をきき、行く決心をしたのだった。

 

実家の車を一週間かりて、埼玉からむかった。

 

テレビで見た風景は、現実に目の前に広がった。

しかし、泥出しや遺体は片付けられており

妙な気持ちになったのを覚えている。

 

自分がやったのは遺品の写真たちの清掃や

それらを写真に取ることや

崩壊しかかっている自宅にすまざるを得ない世帯を

地域を回って調べることだった。

 

閉店した居酒屋を借りて、寝床にしていた。

集まってくる女性は、力強くてタジタジになった。

 

今も、その人とのつながりは残っている。

 

一年経って訪れると、仮設住宅がたっていた。

田舎の方で、長年住んでいる場所というのは

ただ住居があるという以上に

そこにしかない繋がりがあって

生活があったのだ。

 

それからは、行っていない。

10年。

 

漁師の父ちゃんや、酔っぱらいのおとーや

同じく酔っ払いの旅館の親父はどうしてるのだろう。

 

僕たちのミスで、避難できない家に住む女性を怒らせてしまったこともあった。

逃げ場のない場所で、ギスギスした地域の対立構造があったのだ。

その女性が話していたことを聞いていたボランティアが、うっかり別の人へしゃべってしまった。

悪気はない。

しかし、時として悪気がないことが

一番残酷な結果をもらたすこともあった。

 

活動終わりに、夜のミーティングがあったが

その日は0時を回っても終わらなかった。

しゃべってしまった女性は、自分のミスを認めることができず

ボランティア団体の人に、実際にあったことを話すことができなかった。

涙している。

僕も、色々な気持ちが渦巻いた。

 

ボランティアが、地域の人に無条件で喜ばれたわけではない。

困ったときに、助けてくれと言える人は、そう多くはない。

そんなことを、あの経験から学んだ。

 

ボランティアだから

人の強さも

尊さも

そして弱さも

あの壮絶な時間の中だったからこそ

浮かび上がってしまったこともあったのだろう。

 

人格が変わっていくボランティア団体の職員がいること。

手柄を取り合いになることがあったこと。

そんな話もきいた。

 

自分にもそんな気持ちが、もちろんあるのだ。

役に立って、喜ばれたい。

その裏には

期待があり

そうならなかったときには

「なんだ、きてやってんのに」という言葉が

あまりにも簡単に浮かぶ。

ボランティアしてきたと自慢したい自分。

ただ見てみたい自分。

いろんな幼い自分がいたるとこででるが

そんなことは関係なく。人が足りなかった。

 

僕はあの時間。

何をしにいったのか。

何を見て、何を感じたのだろうか。

リアルはある。

人のリアルだ。

人が、生き延びるというリアルだ。

 

あれから10年。

またきっと

地震はやってくる。

 

くだらない自分はいつもいる。

大切なことは

自分が、自分で決めて、そこに趣いていることた。

自分で決めて、いるのだ。

 

だから、人は関係ない。

自分で決めたことを、その状況があるのだから

ただやるだけだ。

 

色んな人がいる。

それでも、自分が決めたことを、全うする。

文句言われても、誤解されても

拒絶されても、自分の思いも相手の思いも大切にして

自分がやると決めたことを、やる。

 

それを、忘れないように

丁寧に、毎日をおくる。

 

合掌。

生きていることに、合掌。