仲間内で、文章塾というものをやっている。
文章の得意な人を中心に
課題を決めて、みなでツッコミあって
オンラインで集まって意見を言い合う。
そんなことをやっている。
先日、良い文章だった、と言われた。
正直、自分ではよくわからなかった。
締切が過ぎて、まとまらないまま
一気に書いただけだった。
しかし、課題の文章が日野先生の書かれた
「鎧でかこった自分」だったので
要点をまとめたりしてみてはいたのだが
思い当たることが多すぎて、まとめきれないまま
日数が過ぎてしまった。
他の人が読んで、良い文章だったということが
今回の大切なことだと思う。
自分なりにまとめて、組み立てて、書いたこともあったが
それは、他の人にとっては読みにくく、自分らしくなかったと
感想をもらった。
大方、良かったというときは、一気に書いたものだ。
良い文章というのは、一体何なのだろう。
結構、勘違いをしている気がしている。
伝えたい人がいて、伝えたいことがあって
それで、初めて文章なのではないか。
当たり前のことかもしれないが
先生が、4年制の国語からやり直せとおっしゃっているのは
ここを、明確にしろということではないか。
子どもは、ここは明確だ。
いつのまにか、それらしい言葉を並べたり
形を整えることや、格好をつけることで(ついていないのだが)
何かをやっている気になって
さらに、それが自分のくせになっている。
結局、ずるい感じがするのは
自分がこう、と思っていることを隠していることだ。
隠しているのは、他の人からどう思われるかを気にしているからだ。
今、とにかく行動、行動だと答えをだしている。
だしているのだから、やるしかない。
それが、今の自分が出した答えだから。
気持ちが動いたときに、
文章を書いてみよう。