先輩に「親父に聴いてみたら」と
言われたのを思い出した。
今の職場での状況を
この先輩に相談したときだ。
なので実際に電話してみたのだ。
最初は予想していた会話が続いた。
状況がわからないとか
おれにはわからないという会話だ。
親父が、もし現役だったらどうしていくか。
そして、今取り組むとしたら?
それを聞きたいと思っていた。
幸い、父は今の私の職場を知っている。
そこで働いている人にも会ったことがある。
なので、父のイメージが膨らむように
会話を続けていった。
すると、聴いたことがない話がきけたのだ。
職場にどう取り組むのか
という話に関しては
当初は、私へのアドバイスになっていた。
現状をまずは見極めて
慎重にすすめる、といった話だ。
面白い話もあった。
「おれは、話をして
話が通じるとか、これ以上はだめだな、とか
そういったことが本能的に若い頃からわかった。
だから、そういう意味でケンカにはならなかった。
だめだ、と思ったらひくから。」
「同僚とぶつかる、というようなケンカはしない。
よし、ぶつかるぞ!喧嘩するぞ!というときは
周到に準備をした。感情も高ぶった」
「そういう時代だった。熱い。
自分の信念を貫く、通す。
それが、自分の役割だと思っていた」
「それで、自分の意見が「通ってきてしまった」
若い頃は、自分が通したと思ってきたが
今となっては、「通ってしまった」」
こんなようなことを、父は話していた。
気がつけば一時間以上話していた。
聴いたことがなかった話というのは
「生きづらさ」に関して私が質問したことの答えだった。
私は、父の話を聴いていて
父は、私がぶつかったような
幼少期、青年期に自分について悩むような
いわゆる「生きづらさ」はなかったのかな、
そう思ったのだ。
しかし、父はこう語りだした。
「そうねぇ。今思えばだけど、
親しい同僚などに、急に拒絶感のようなものを
感じてしまっていたことはあった。
それは、おれの幼少期の孤独感と関係しているかもしれない。
おれは、小さな頃、一人だった。
友達が、家に帰る時間になっても
御飯の時間や、家族が帰る時間になっても
家にだれもいなかった。
だから、必要以上に、関係を追いかけてしまう
ことがあったかもしれない。
今思うとだけどね」
この話は、結構衝撃的だった。
まるで、自分のことを聴いているようだった。
どうじに、「自分」って捉えてきたものが
やはり、思い込んできたもの。
養育環境や両親から
多分に強い影響を受けてきたものだと思った。
他にも
仕事上で父は「関係性」が大事だと話した。
「ずるい」意味ではなく、支配やコントロールするためではなく
(自分の持っていきたい方向へ誘導するための関わりではない、という意味だろう)
結局、相手との関係性だと話した。
これもびっくりした。
まぁ、家族から見える父親像には
関係性を大切にしている人には映らないからだ。
もちろん、父にとってなのだが
すごく興味深い。
こんな話をしたのは、はじめてかもしれない。
仕事上だけではない関係性を
もしかしたら、どこかで求めていたのかもしれない。
それも、もしかしたら、幼少期の経験が影響しているかもしれない。
そんなことも、話をした。
ここは、勝手だが、私も似ている気がした。
なんにせよ、こんな話ができたのは
はじめてな気がする。
であれば、だ。
自分とはなんなのだろう。
たぶんに、思い込みによって形成されたもの
くせや、反応や、仕草まで含めて
周りからの影響によって
形作られているのだろうか。
それを、とっぱらったときに
何か残るのだろうか。
「関係性」
それは、相手との関わりにおいて
引き算ができるかもしれない。
日野先生は、ずっとおっしゃっているけれど
今夜は、そんなことを
父との会話似で
考えた。
終わり。