愚問であった。
先日の発表会のことを
別件ではあるが、師匠にメールして
その冒頭に書いた。
発表会では、私の演技については
何も言ってもらえなかった云々。
返信メールの冒頭に
このことについて触れてあった。
それは、専門的なことを言ってもわからないし
本番でお客さんが喜んでくれればよいからです。
何も言ってもらえない、という愚問を持つのは
自分の立場、実力をわかっていないからです。
これを読んで
恥ずかしさでいっぱいになった。
実は、なぜ師匠へのメールに上記のことを
書いたのか、よくわかっていない。
師匠へのメールだ。
友達に、ではない。
面白おかしくのようなノリで書いたかもしれない。
大変失礼な態度だ。
発表会の先生にも
失礼だ。
私の問題が、また明確になった。
自分でやっていることがわかっていない、の実際だ。
自分の立場、実力がわかっていなければ
自然界なら死ぬだけだ。
これがわからない、というのはどういうことだ?
答えは今回の公演だけではない。
職場でのトラブル、振る舞い、全てにでているだろう。
と捉えれば、何をどう変えていけばよいのか。
つまらないことに反応する。
このことが幼さそのものなのだ。
分かってもらえない、こんなにやっているのに等だ。
かまってちゃんが拗れちゃったもんだ。
40も過ぎて、それで良いとどこかで思ってはいないか。
つまらないことの中身は
上記のことがほとんどだ。
俺が正しい、お前がむかつく。
それをそのまま出してしまう。
これも、自分の立場、実力がわかっていない
一つの側面だ。
わきまえて。
は考えではないだろう。
わきまえる、のだ。