昨日の新聞に記事がのった。

私の引きこもり体験だ。

以前精神保健福祉センターで

体験談を話したのだが

そのご縁で紹介された。

 

記者の方はとても真摯だった。

当たり前かもしれないが

私の意図をしっかり汲み取って

話をまとめてくださったと思う。

 

まとまった文章をみて

正直自分のことなのか

実感がわかない。

こういった人生を歩んできたのは

間違いないのだろうが

物語になると違和感がある。

 

Facebookでもいくつか反応があった。

その中で、やはり、というものがあった。

 

当事者ストーリー。

障害者ストーリー、である。

 

そこにはめ込まれるのだ。

当然だ。

人は見たいように見るものだ。

 

問題は?

自作自演になってしまうが

記事では、「一人の相談員として」

当事者とう立場からではなく、と

大切なポイントを書いていただいた。

 

にもかかわらず、

当事者、としての体験談を聞かれる

私には「もと〇〇」というレッテルが貼られる。

 

一番の問題はここ。

わざわざ自分からそこに行った、ことだ。

 

であれば、自分から騒ぎのもとへ

行かないことが課題になる。

 

騒ぎの本流は過去からの流れだ。

元〇〇、という流れだ。

そこには、親がこうだったから、

とか、心理学では〇〇とかもある。

 

今大切なことは?

しっかり人に揉まれることだ。

仕事をこなすことだ。

 

反応は必ず過去からの流れからくる。

 

目の前の人。

目の前の仕事。

そこをしっかりこなすことで

集中していくことで

自分を成長させていくしかない。

 

頭ではない。

考えるべきは振り返りではない。

今の仕事をどうこなすか。

どうすれば出来るようになるのか。

そこだけである。

 

とはいえ、ここ数年の自分の活動で

関わった中学の先生や

親御さんからも反応があった。

それはそれで、嬉しかった。

おわり。