新しい職場になり、一ヶ月が過ぎた。
新規立ち上げということもあり、色々なことが流動的だ。
管理職、心理職、生活担当である児童指導員、つなぎ役の家庭支援専門相談員、栄養士、そして学校の先生たち。
きっと、それぞれに思うことがあるだろう。
この一ヶ月、とにかく目の前のことをしっかりやろうと取り組んできた、つもり。
そう、つもり、が見えてきた。
考えていることと、行動していること、言っていること。
これがバラバラだ。昔からそうだった。混乱するのは当たり前だ。
眼で聴く
触れる
届ける
これが僕にとって今最も大切な仕事を通じて取り組んでいること、のはずだ。
しかし、その実際は真逆に行ってしまうことも多い。気づくことが早くなり軌道修正をかける。
この軌道修正が、自己否定である。
やり方を否定したところで意味がない。
しかし、やり方を議論している職場で「あり方」を問いている。話が噛み合わない。
ここのところ、職員に対して腹が立つ、モヤモヤすることが増えてきた。
人に対して求めていること、期待していること。これは実は自分の影を映し出しているはずだ。
であれば、人に対して思うこと、やってることには色々なヒントが隠れているはずだ。これまでもやってきたことだが、一つ視点が至っていなかった。
それが、「俯瞰」である
全体であるし、場を読む、自分にとって大切なことは何か、自分は何者であるか、といった全てに関わるものだ。
なぜなら、関係性の中に自分自身が現れると思うようになった実際が、個々にあるはずだからである。
問題は、それなのにやっていること、やりだすことが昔のパターンのままだということだ。
それは、当たり前でもあり、そこをしっかり否定していくことだ。
「こうではない」
という感覚は生まれている。言語での意味付けはもっとずっとあとであるし、してはならないと感じる。これまた、やればやるほど昔の思考パターンが現れるだけだからである。「考える」ということは、ここをしっかり言語で捉えていくことであるが、まずは体験の中で「やりながら」つかんでいくのが自分にはあっている。
今、何に腹が立つのか。
たいしたことはない、多くは「批判された」という自分の思い込みなのだ。
他の人のやり方が評価された、自分のやっていることが軽く見られている等々。
また、自分の思い通りにいっていないことへの「愚痴り」である。
管理職はもっと話を聴くべき、リーダーとしては云々等々。
全くのんきなものだ!!
他人様の人生に深く関わる仕事をしているのだろう。
だまってやれ!である。
この行動の背景にあるパターンが今の自分自身なのである。
結果、目の前の仕事をその瞬間放棄している。間違いない。
幼い。批判されたくないという気持ち、思い通り行かないという愚痴り。
もう一度、肚を据えろ。
眼で聴く。
眼で聴く。
眼で聴く。