覚悟のススメ、とう漫画があるようだけど、それは知らない。

覚悟とは、

 

かくご【覚悟】

( 名 ) スル

① 危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること。 「決死の-」 「危険は-の上だ」 「 -はできている」

② 〘仏〙 悟りを開くこと。

③ 知ること。 「郎従小庭に伺候の由、全く-仕らず/平家 1」

④ 覚えること。 「本歌を-す/徒然 238」

⑤ 観念すること。あきらめること。 「がつきめ、御意ぢや-せい/狂言・武悪」

 

だそうだ。

 

最近、特に自分の使う言葉にうすっぺらさを感じる。

前から同じであったと思うが、周囲に自分の言葉で語る仲間と出会ってから、それに比べて、いや、比べなくても同じ場にいるだけで、それはわかるものだ。

 

変わっていく自分がただ嬉しくて、この10年勢いでやってきた。

ドン底から、這いあがってきた。そう思っていた。

 

体験として残っているものを、切り取るのは、その人の考え方であり、選択された言葉だ。

たとえば、僕がドン底だと思っていた生活は、ある社会復帰施設での生活だ。

その前後の自分自身だ。

そこでは、仲間同士の体験の分かち合いと、そのベースにあるのは12ステップと呼ばれる回復のプラグラムだ。

そうすると、その生活の風景は、12ステップを通して彩られる。

それまでの人生も、12ステップを通じて、語りなおされることで、新しい意味を持つようになる。ただ、それは光の当て方を変えただけ、ともいえる。

 

もちろん、この時期にその過程が必要であったことは確かで、それによって救われてきたのも事実だと思う。

 

しかし、10年が過ぎ、その間に12ステップ以外にも、いくつかの学びを続けた。

コンプレックスであった学歴に向き合い、大学へ進学して学んだ福祉の数々の講義。

講義で興味をもった交流分析、動機づけ面接法、NVC、クリーンランゲージ、カウンセリング、ファシリテーター講座、量子場観察、キネシオロジー、スピリチュアルなものから、最近では武道の先生から、身体から関係性までを学びにいっている。

 

それぞれの場で、それぞれの言語体系をもっている。

それによって、そこで表現されていること、伝えられていることを学んでいるはずだ。

 

結果、僕はどうなっているのか。

大混乱である。ただでさえ考えすぎる頭にツインターボにスーパーチャージャーを付けたくらいなのに、タイヤは軽の溝のないスカスカなものをつけている感じだ。

空回り。

 

なぜか、それが自分が自分の人生を、自分が生きる覚悟なのだ。

 

そして、これだってただの言葉でしかない。

実態をともなっていない、頭の中だけの言葉。

 

とんだ妄想野郎をつづけていくのか、歓びとともに生きるのか。

覚悟を決めるタイミングだ。

 

周りをみれば、やっかみ、嫉妬、裁いて自分を上にたてようとする幼稚な自我。

どうやったって、結論はその自我のまま何も前に進められないということだ。

 

それらしい言葉、理論、かっこいい横文字。

それは、そう見られたいという自分が隠れているのだ。

だから、本気で生きている人には一発で見破られてきた。

これが、どれだけありがたいことか。そして、それは自分の深い望みが導いてくれたのだろう。

 

毎日の生活の小さな行動。

おもろいことやろう。やっていいじゃん。

何度も見たことがある言葉だけど、人生の今、これが体験を伴ってやってきた。

 

正反対をいきていたんだなぁ。

つまらない人生なのは、つまらない自分だからだ。

 

じゃあ、おもろい自分になったらいい。

おもろい自分を生きたらいい。そうしたら、おもろい自分になっている。

 

捨てて捨てていこう。

本気以外、全部。

 

うし!!もうもう~!!!