10月の始めに、100回目の武禅を受講してきました。これが、最後の武禅になります。
あっという間に、2ヶ月が終わろうとしています。先週は、大阪でのWSを受講してきました。
今年の初め頃に、今年は出来るだけ毎月、日野先生にお会いしにいきたいと思いました。
継続して取り組むことが大切とも思ったからですが、いろんな想いが混じっていたのも事実です。たとえば、楽しい、ワクワクするだけでなく、何かあるのではないかとかです。
第100回、最後の武禅が終わってから、ずっと重たい気持ち、( ;ノд-)ズーンとしていました。
それは、なぜか、ずっと考えていたのですが、これといった答えは見つかりません。
これかな?というものはもちろん、いくらでも出てくるのですが、、。
しかし、今の私の答えは、何か一番みたくないものを突きつけられてしまったのではないか。
突きつけられたのではなく、本当はそれを観にいっているはずなのですが。
それは、とても単純なこと。
そして、それは、他の仲間がいたからこその気づきでした。
おまえは、どこまで本気で生きているのか、ということです。
この年になっても、経済的にも自立できていないこと。
目の前の仕事があり、人がおり、それにどれだけ向かい合っているのか、ということ。
結局ですね、笑っちゃったんですが、中学3年過ぎて、引きこもりだしたあの頃から、変わっていない自分が確かにいたんです。
あの部屋にずっと閉じこもっていじけていた自分だったのです。
先生は、「幼い」という言葉を使われて伝えてくれました。
僕にとってこの「幼い」という言葉の指す意味は、とてもたくさんのことを包んでいます。
この2ヶ月、自分がだめなように感じたり、自分だけが場違いな感じがしたりがしています。
そして、これは同じみな劣等感なんです。結果、自分がどうしてきたのかも、今はわかっています。
そのように感じることで、何もその問題そのものには、取り組まないですんできたのです。
取り組まない理由を探し続けていたのです。41年間。
気持ちが動いた瞬間が、今回の武禅の真夜中に起こりました。
後先本当に関係ないや、自分のことなんて道でもいい、だけど僕は、みんなと、一緒にいた!そんな時間でした。
気持ちが動き、ではどうするかと頭を使う。
こんな簡単なことが、わからなかったのです。
本当に、なんのための人生か。
生きる、ということは、僕にとって本当にこれからです。
今を捉えられる意識は、一つだけのような感じだけれども、色んな自分が折り重なってここまできたんですね。
必死な自分もいた。
惨めな自分もいた。
悲しい自分も、死にたい自分も。
だけれども、そんな気持ちの奥の奥は。
やっぱり人としっかり繋がりたい自分がいた。
なぜ、こんなにも日野先生に惹かれるのか。
このなんとなくの感覚が、僕の感性が開いていく方向なのだと思います。
先生が最後に送ってくれた言葉です。
「今までの自分とはさよならです、これからがスタートです、と書いています。
本当に、そうなることを祈ります」
この言葉を読んだときに、背筋が凍るようでした。
一瞬で自分の甘さ、考えの浅はかさが見えてきたからです。
これは、人生をかけて全力で取り組まなければならない。
すべての自分の言葉の辞書を、書き換えるくらいのことだ。
それでも、このことに気がつけたのは、とてもラッキーで、幸せなことで、有り難いことです。
あの仲間達がいて、私が顕れてきたと思います。
いのちの可能性は、本当に無限。
本当に本当に美しく、かけがえのないものなのだと思います。
そんな命の煌めきを、大切に、対人援助の仕事をやっていきます。
ほい、ではでは。