企画していたイベントの運営が進んでいない。
主催は私である。打ち合わせもして、日程も調整したものの、前に進んでいない。

日程の再調整も何度もしているが、それは、気になっている友人が設定した日だと参加できないことが後日わかったからだ。

しかし、本当は??フラフラしているなぁとは、自分でもどこか感じていた。

昨日、講師の方からずばりと言われたことが、

 

「やらなきゃ、になっている。」

 

決めた、と書いたり言ったりしているが、その「決めた」はなんなんだ。

ただの、言葉になっている。行動が伴わないこの空虚は「決めた」は気分か。

 

人の時間を使い、打ち合わせをして、決定したにもかかわらず、進めていない。

進めていないことは、知っている。やろうとも「思って」いる。

 

なんだのだ、これは。また、いつものパターンだ。

 

3月から確かに怒濤のように、予定を詰め込んでしまった。

あれも、これも。である。

 

今、同時並行しているものを書き出してみたら、自分でも驚いた。

もちろん、私にとってである。

問題は、その多さではない。やる、と決めたことが、いつの間にかプロセスがふっとんで、「やらなければならないこと」になっていて、こなすことで精一杯になっていることだ。

 

大阪ワークショップでも、「目で聴く」という体験が訪れた。

それは、勝手に訪れたのではなく、自分なりに取り組んできた結果、あの場、相手、そして日野先生という重心のような、私にとって強く響き続ける「何か」に出会わせてくれた人がいらしたからである。

 

そして、そこに行き着くまでにも、この10年特にたくさんの方々に出会い、導かれ、取り組んできた結果でもある。さらには、それを支えてくれた両親がいるからこそだ。

 

それなのに、そのプロセスを経ての自分を吹っ飛ばして、やっているつもりを追いかけているではないか!!

 

とはいっても、特に深刻になっているわけではない。いや、なっているかもしれにゃい。
きっとなっている。なっているときは、考えている「ふり」のときである。本当に行動に結びつくような覚悟、ハラからきめる、という言葉があるが、それではないのである。畢竟、やるつもりのない自分を隠しているだけだ。

先生に言われているから、というのも、もちろんある。実際、沖縄で学んだ大きなことの一つは、深刻になってもならんくても、笑って取り組んでも、やることは一緒という事実だ。

 

そう、やることをやる。ここであるはずだ。

そして、それを私は何者としてやるのか、が明確である必要に気がついたではないか。

 

それがここ一ヶ月の特に大きな気づきであったはず。

若い友人に刺激されて、見よう見まねで一ヶ月がたとうとしている。

 

日々の生活の中で、あっという間に、元の木阿弥だ。

頭がマックスキングダム。頭が小錦、曙、ぶよんぶよんだ。

 

今日は、仕事帰りに久しぶりに海へいってきた。

お気に入りの場所は、滝があり、直接海へ注ぎ込んでいる場所。

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ここの所の大雨で、すごい水量になっていた。

いつもなら、通れる岩場が、流れる水で通れない。

でも、先へ行きたい。

おそるおそる、岩場を伝って、水深の浅いところを選んで、慎重に進む。

もはや、意地だ。でも楽しい。すごい、楽しい。
10センチもない岩場をデブが進む!左は滝つぼ、右は海!

 

急に滝からの風が大きな腹をなでていった。

すごい、気持ちいい。冷たい水、流れ、音、そして、海。
ゴーっと水が落ちる音と、かすかにきこえる波の音が一つになる。

自然と、歌を歌っていた。言葉にはならないけど、音をだしたくなった。

ぼーっと、滝の落ちる水の風を気持ちよく受けながら、時間をすごした。

 

自分の人生なのに、また、やらなきゃと勝手に思い込んでいた。

やらなきゃ、と思うとき、それはきっとどこか人のせいのような、自分事ではなくなっている感じがした。

ここのところ、急に色んなことに焦っていた。

仕事でも、失敗もあったけど、間違わないようにと、びくびくしていた。

結果、僕がやりたいことは、見ないふりして、あきらめていたのかもしれない。

あっという間だ。

 

目で聴く、を意識していたはずが、ただ、その形をまねているだけにすぎなくなっていた。

やろうとしている、思っている、だけ。

 

改めて、大阪でのWSの体験がなんだったのか。あれは何だったのか。

私は、私を何もわかっていない。当然、何をしているのかも、出来ていないのかもわかっていないだろう。ただ、言われたことだけをやろうとしている。それも、形をだ。

指示待ち人間と、素直な人間との分かれ道だ。

自分事と他人事の分かれ道だ。

 

ハラくくれよ。おまえ。

 

全部、自分事だろう。

 

目の前に顕れるすべてのことだ。

 

ハラをくくれ。

 

何のために、一体なんのために、自分と親の金を使い、人の時間を使い、生きているのだ。

 

本気で生きたいのだろう。

 

10年前に、病院の診察室で半狂乱して叫んだだろう。

 

「俺は生きたいんだ!!」って。

 

今、そのときが来ている。

 

スクールソーシャルワーカーとして、オーガナイザーとして、カウンセラーとして、講師として。

やらなきゃいけないことはない。

 

一つ一つ明確にしていくから、やることが見えてくるんだ。

 

やることを目標にしてしまうから、やらなきゃになっていくのだ。

 

プロセスが大切といつも教わっているのに、気がつくと形だけを「やろうと」してしまう。

こんなところにも。細事が万事。

本気で考え、本気で伝え、本気で仕事をするチャンスがきている。

今逃げたら、ずっと同じ。逃げてるつもりがないからたちが悪い。なにより、スゲ━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━!!!!かっこわるい。

よっしゃ。

一個一個、明確にして、取り組んでいこう。

 

海っていいな。

沖縄戦で悲劇が重なった場所だけれど、今日僕は助かりました。

ありがとうございました。

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