本当は昨日からやる予定が、つい、つい、つい、カレーライスを、、、
今日朝から、プチプチ断食。
流行の酵素と水で過ごす週末。
でも、今日は両親から届いた越生の梅ちゃんを届けたり、久しぶりにお会いしたので2時間くらい話し込んでしまったり。夜はカウンセリングの練習を2名お願いしていて、盛りだくさんな週末になりました。
「聴く」ことが出来ているかは別にして、人のお話に耳を傾けるのは結構体力がいるものだと実感。夜の一人目が終わったときは、結構フラフラしてしまった。
しかし、面白いもので、二人目のときには話がかみ合った感じになり、そのときは疲労感はあまりなく、むしろ元気になった感じがした。
この二つの違いは、なんであろうか。
食べていなくて、いつもと体調が違うことも、二つの違いを明確にしてくれる助けになっているのかもしれない。
東京ワークショップが終わってから、ソーシャルワーカーとしての自分をはっきり認識するよう意識している。だけれども、逆にその自分がなんなのかは、はっきりしない。はっきりしない、ということは、一つ一つの仕事があいまいである、ということだろう。
上司へ報告すること、関係機関に連絡すること、情報を共有すること、これらを何のためにやるのか、すべてがあいまいなままだった。
あいまいにしている、とも言える。なぜなら、これらをはっきりとしていくには、自分の仕事を考え、それを基に行動をしていかなければならないからだ。当然、それには自分の判断という責任が伴う。自分の判断が難しいときは、○○に対してどのようにすればよいのか、を聞かなければならない。しかし、それもスクールソーシャルワーカーとして、ということが大前提でなければならない。
一体、この2年間、私は何をしてきたのであろうか。
目の前の人に、私は誰として接してきたのであろうか。
独りよがりの仕事をしていたのは、残念ながら間違いない。
個人的な想いや気持ちはもちろんある。だけれども、私は私個人として好き勝手に仕事をしていたのだと思う。
教育現場という場から、今年に入って何度か強く指導された。
組織の一員としてということを、強く自覚してほしいというものだ。
「ほうれんそう」にはじまり、私がどこで何をしているのか、管理職が把握できるようにしてほしいというもの。当たり前のことである。
これが正直とても苦しい。
公務員という人達が、どのような関係性の中で働いているのかなど、これまで恥ずかしながら考えたことがなかった。批判ばかり偉そうにして、その中で働いている人達の実際を、私は見ようとすらしていなかったのだ。
面白いことに、私は何者か、ということを明確にしようと決めた時期から、このようなことが職場で起こり始めた。そこから考えれば、もしかしたら、何者かということを決めずに働いていたので、周りもそういうものだと見ていたのかもしれない。だから、スクールソーシャルワーカーとして、という起点をもとうとしたときに、おまえの動き方は違うのではないか?という周囲の反応を引き起こしたのかもしれない。
それはわからないけれども、これはチャンスだ。
41歳、社会人3年目!!まじでしんどい。
このしんどさは、必要とされていない現実だ。存在価値が自分でも見えてこないからだ。
しかし、ここで引き下がってはつまらない。先生ともめてしまったのもあり、先生方への被害妄想もばりばりだ。
ここで基本に立ち返って、しっかり組織の中でも仕事ができるようにするのだ。
しっかり、とは、学校の理解、人間関係の理解、仕事の理解、そしてそれらを踏まえての自分の立ち居振る舞いだ。
ソーシャルワークとは何なのか。
もしかしたら、学校現場では求められていないかもしれない。
先生方にしたら、怖いことなのかもしれない。
であれば、私は何をするべきか。何が仕事になるのか。
大口をたたいて、格好をつけてきた。
それがばれるのが怖くて、本当の意味で意見を出してもこなかった。
独り言のように、だれにも届かない言葉を会議で話してきた。
今日のカウンセリングで、疲れを感じた一人目の人。
それは、きっと僕ががんばってしまったからだ。
がんばるのは、いつも我である。
のらり、くらり、と話を反らす彼の話し方はまるで、自分をみているように感じた。
まるで、人ごとなのだ。練習だから、こちらからお願いしているので、仕方がないけれども、ぐるぐる回る話だけを続けるのは(# ゚Д゚)y-~イライラ
でもって、強引に話をもっていってしまった。途中で気づき、軌道修正するも、もやもやしたままだ。この、もやもやしたものを何とかしてしまいたくなる。
本当に余計なお世話だ。
カウンセリングはカウンセラーとして。
学校ではスクールソーシャルワーカーとして。
やることを、やるだ。
本当に、相手に向かい合うのだ。
本当に、聴くのだ。
相手に触れること。
これは、どの場面でも、いつでも変わらなく出来るようになりたいことだ。
これが普通でいられるためには、どのような訓練が必要か。
やっていくしかない。
良い仲間もできた。
次会うときに、次会うときを楽しみにするためにも
何者として働くのかを、明確にしていく。