沖縄へ戻ってきた。
暖かい、と思ったのは空港を出てから家に着くまでだった。
室温は20度くらいあるけれど、出発前に比べると5度くらい低い。
当たり前のことなのだが、沖縄では薄着で、だから寒い(笑)なんのこっちゃw
寝る前に、友人に電話をする。
今回のことを、聞いてもらいたくて。だけど、そこで反応した。
「反応」という使い方をするけれど、実際には、感情が動いたという感じか。
同時に、その「反応」に対しての良い悪いという、正解不正解という意識が働いているように思う。しかし、その反応した「感情」、に焦点をあてているから、同じ事が繰り返される。
そこに、まっすぐ向かい合う。
ということは、感情ではなく、きっと、「感性」のほうなのだ。
概念の話だけれども、ボクが使っている感情は、日野先生のおっしゃっている感情とは、どうも違うように感じる。
「情動」というのは、その大本は「感性」であり、それは感覚されることではなかろうか。
自分がどうしたこうした、相手がどうした、は感情でも思考でもなく、ごっちゃごちゃ。
幼さ、ガキというのは、このことではないか。
で、あるとすれば、まっすぐ向かい合うのは、感性のほうだ。
で、どうしたそう感じたのか、が後からついてくる。
そこから昨日を振り返ると、お世話になった人が参加した記事についてや、その後の話について話をした。それに対して、相手が感じたことを話した。
で、ボクは、相手は本当はこの話をしたくないのでは、と思った。
回り道の話をしたが、ここがポイントだった。
相手は話をしたくないのでは、ここに関して、が本音だろう。
で、それを相手に伝えた。相手も、受け取ってくれたように感じた。
その上で、「ボクが伝えたいのは、あなたは、もうその人は関係ない。上下の関係の話をしているように聞こえる。あなたが、感じた、それでいいじゃん」
今朝、起きて結構もやもやしていた。
最高の時間だったWS。
沖縄へ戻って、このもやもや。不安。寂しさ。
「ない」ものへ焦点が当たっている。
昨日の流れは、WSの流れにあった。
立った今、気づいた。
無いものにして、いつものパターンを繰り返そうとしているのは、この頭。
相手と、自分と、不器用ながらも向かい合っていこうとしていた。
相手も、向かってくれた。
有り難いことではないか。
同時に見えてくるのは、頼ろうとしてる自分だ。
先生に、恩師に、友人に。
頼ることが悪いことではない。
だけど、自らが立つ事無しに、だれかにもたれかかろうとしている。
これが、依存だ。
それは、自分の人生を自分が歩むことを放棄した生き方であり、依存症の本質では。
自ら立つ、それがあった、はじめて人と本当に関われる。
きっと、そうなのだ。
そして、私は今、自ら立とうとしている。きっと、それがしてみたいのだ。
これまでであった人、恩師、友人、仲間。
本当に振り返ってみよう。
そして、本当に感謝を伝えてみよう。
本当に、あまりに、他人を意識していない。
我が、だけ。それは、余りにも悲しい。