三日目が終了。

今日は、びっくりの知り合いも参加。フェイスブックでの記事をみて、参加してくれたという。子育て講座を一緒に受講して来た女性。実は、そっちのコミュニティはなんだか冷めてしまっていて、同時になんとなく気まずい気持ちを持っていた。

 

これも、僕の決めつけで、なんか気になるけど触れられないという存在で、フェイドアウトするっていう、そんな風に自分を扱っている、現れか。

 

どうでもいいか。

 

ワークでは、一緒に参加してくれたたまちゃん、ユキちゃんと何度か同じペアに。

たまちゃんは、とても僕を気に入ってくれ、興味を持って接してくれる。

 

日野せんせいのWSには、生きていくにの役に立つ、智慧がたくさん詰まっているように思う。

 

例えば、今日あった「言葉を絶対に変えるな」では、先生の用いた言葉を、絶対に言い換えるな、ということ。それは、先生が使っている言葉の背景があり、言い換えるということは、自分流に解釈する、ということだからだ。今わからなくても、そのまま受け取り、わからないまま頭の隅に置いておく、これが大切だという。

 

しかし、セミナーや日常生活では、わからないままにしておくことは、基本的に不快である。なんとか、答えをどこかに見つけたい。そして、外側に求める。しかし、それは、今現在の頭のレベルにある知識に、体験を切り取り、当てはめていくだけに過ぎない。そこに、成長は限定される、という。

 

確かに、その通りに思う。わからないまま、先生の言葉を大切に追いかける。

今日は「流れ」という言葉を、徐々に、と置き換えた人がいた。

そこを、突っ込まれるありがたさ。

それを、受け取れるありがたさ。

 

人と正面から向かい合う。

そんなことが、現代にはほとんどない。

というか、全くない。

親でさえ、子供と正面から向かい合っていない。

考えてみれば、あたりまで、親もまた、その親からまっすぐに向かい合ってもらっていないことが、ほとんどなのだ。

 

食事の時に、和子先生にお話を聞いていただいた。

幼児性、幼いとは、ということだ。

客観的に、事象を見るということ。

それが、例えば、とても大好きな〇〇のように感情移入している場合だ。

対象を、すでに〇〇と思い込んでいる状態。

そこに、無意識に〜とは思ってはいけないとかが入り込んでいる。

 

全く私の印象とは違う。

印象ではない。

文章表現として、客観的に幼いという。

 

とても、深く話しを聞いていただいだ。

 

まっすぐに聞いていただくということ。

 

本当にありがたい。

 

明日は、千秋楽。

 

やりきろう!

 

ここまで、生きてこれたこと。

出会い、全てに感謝して。