似て非なるもの、そこに本当に気をつけなければならない。
私たちをここまで連れてきてくれた、私たちのエゴシステムは本当に巧妙だ。
最もらしく何かを主張しはじめたり、こだわりだしたり、じゃなくても自分では気付けなかったことに向き合うとき、ぐるぐるぐるーって思考を回して痛みから守ろうとしてくれる。だけどだから、前に進めない。現実もぐるぐるぐるーってなる(笑)
この体験が、次への道標になってきた。
痛みから逃げずに少しづつ向き合うことが出来るようになって、進みたい方向が見え始めた。
両親の関係から、この痛みの源は作られたと思ってきた。だけど、それは真実の一部でしかなった。
父親を力の象徴のように思い、そして恨み、自分から遮断するためにここまでの人生使ってきたようにもおもうけど^^;
ずっと個人としての父親としてしか認識してこれなかった。だけど、父親の中の父親像、社会の中の個人として、組織の中の役割として果たしてきた親父の姿があった。
社会運動に没頭した若い頃。貧困の中で育った幼少期。親父の中で、あの時代、正しさを剣にして戦うことは正義であり、それが変革のエネルギーの源になっていた。
だけど、親子としてみたときに、この正しさにまつわるもの、時代、国、地域、組織、、。親子としての僕たちに決定的な溝を作り出し、そしてそれが認識されないまま破綻を迎えた。
ぼくは、このメッセージを受け取る責任があり、それを果たしたいと思うようになった。
何かはずっとわからなかったけど、仲間に揉まれ、支えられ、再び社会に出る中で新しき人々に出会い、愛されてきたことを、思い出したときに見えてきたものが、今ある。
それは、ぼくが出会う中で、お互いの真実を思い出していくこと。人間だって自然の一部であることを思い出して、命を大切にすること。
それは、自分が感じていることを感じていいということ。大切にしたいことが大切にできること。大切な人と繋がれること。
そのために、文句ばっかいいながからもフルサポートしてくれている両親の力を借りて、自分と向き合うワークを続けて、出会う人にその体験を伝えていきたい。
うん、すっきりー*\(^o^)/*
できることはそんなに多くないけど、課題も大きけど、力が湧いてくる。
他人事なんてない。
出会うことは全部自分ごとなんだ。
扱い方を知らなかっただけ。
だって教わってこなかったもん(*^^*)
自分の平安を愛するには、癒しが必要です。
じゃなければ、争いを自らが必要としてしまう。
似て非なるもの、それは偽物。
だまされちゃいけない。だましちゃいけない。
半径5メートルに全力で取りくむのだ~*\(^o^)/*