修羅場
ゴミの撤去処分について、電話で相談が入った。声と語気で判断するに、相手は、老年の女性。また、丁寧な言葉遣いと上品な語り口から、“お金持ちの家の奥様”を連想。女性は、色々と相談したいことがあるみたいだったが、「まずは、事情をお話ししたい」という。私は、「必要であれば伺うこともできますから、それもご検討ください」と前置きして、女性の話に耳を傾けた。女性は、自己所有の一軒家で生活。夫は数年前に死去し、この時は、40代になる娘(以後「当人」)と二人暮らし。相談の内容は、当人が部屋に溜めたゴミの片付けについて。しかし、話を聞くにつれ、問題の中核は“ゴミ”ではなく“当人”であることが明るみになってきた。当人は、女性の一人娘。裕福な家庭だったのだろう、小中、そして、高校も大学も、それなりのところへ進学。「人並」という言葉は思慮なく使うべきではないのかもしれないけど、人並に成長。そして、大学を卒業し、とある企業に就職。父親のコネもあったようで、希望の職種で、しかも名のある企業。夢と希望に満ち溢れ、その前途は揚々としていた。しかし、ほどなくして、職場の人間関係に揉まれることに。会社の方針は、「成果主義」の皮をかぶった競争主義で、同僚は「仲間」ではなくライバル。そして、上司は、「指導管理者」ではなく、手柄は自分に、責任は部下に押しつける上官。当時は、世の中に、「パワハラ」なんて言葉も問題意識もなく、黙って耐えるのが当り前の時世。それに耐えられない者は、敗者として辞めていくか、出世コースから外れるしかなく、当人の精神は疲弊していった。精神科にかかっても、薬を飲んでも、根本的な問題が解決しない以上、快方に向かうわけはない。結局、入社後、一年を待たずして退職。その後は、働くでもなく、学ぶでもなく、ただ、自宅で寝食を繰り返すばかりの日々。当人の将来を考えると心配ではあったが、両親は、娘が元気を取り戻すことを一番に望んで、当人の休養生活を容認。まだ歳も若く、「継続勤務していたとしても、いずれは“寿退社”したはず」と考え、また、「このまま再就職しなくても、いい縁談を探して結婚すればいい」と、楽観的に考えてもいた。両親が、そんな“余裕”を持っていたせいもあったのだろうか、時間が経てば経つほど、当人と社会との距離は空く一方で、次第に、当人は家に引きこもるように。そして、それは、日に日に深刻化。当初は、ちょっとしたレジャーや散歩、買い物くらいなら一緒に外出していたのだが、それも減少。そして、女性の夫(当人の父親)が亡くなったのを機に状況は一変。女性の願いとは裏腹に、悪い方へ、悪い方へと転がっていった。外に出ることも滅多になくなり、家の中でも、ほとんど自室にこもるように。当人の部屋は二階の一室だけだったのだが、次第に専有面積を拡大。いつの間にか、二階はすべて当人の占有スペースに。そんなことより女性を戸惑わせたのは、当人の、人柄・人格が変わっていったこと。それまで見たこともないような悪態をつくようになり、耳にしたこともないような粗暴な言葉を使うように。意見でもしようものなら「クソばばあ!」と、平気で女性を罵った。機嫌のいいときは一緒に食事をすることもあったが、逆に、ちょっとでも気に入らないことがあると、恐怖を感じるくらいに高圧的な態度をとり、ときには発狂したりもした。そのうち、二階に上がることも拒み始め、女性は、階段の途中までしか上がれなくなってしまった。食品や食材は、女性が、適当なモノを適当な量、買い揃えておく生活。三食分だけでなく、菓子や飲料も。冷蔵庫や棚に買い置いておくと、気ままに下に降りてきては、自分で勝手に調理して二階に持って上がるそう。ティッシュやトイレットペーパー等の生活消耗品も同様。たまには、当人が「〇〇が食べたい」「〇〇が必要」とリクエストしてくるようなこともあり、その場合は、それを買ってきていた。洗濯物は、洗濯カゴに入れられているものを女性が洗濯し、乾いたものを当人が二階に持って上がるといったルーティーン。ただ、外出着はないわけで、家着・寝間着・下着・靴下・タオルくらいのもの。労力としては大したことはなかったが、女性にとっては、酷く虚しい作業だろうと思われた。当人は、無職で無収入のため、生活費は、女性が全額負担。「生活費」と言っても、土地・家屋は自己所有だから家賃がかかっているわけではなく、食費と水道光熱費がメイン。あとは、医療費・保険料くらい。外に出ないわけだから現金の必要性はなく、小遣いは渡しておらず。ただ、ネットで購入されるマンガ書籍・DVD・ゲームソフト等の代金は、女性が払っていた。また、家賃はかからずとも、土地家屋には税金や修繕費などの維持費はかかる。女性には、いくからの年金収入があっただろうが、それだけでまかない切れるものではなく、貯えを切り崩しながらの生活であることが察せられた。トイレは二階にあるものの、風呂・洗面所・台所は一階のため、当人は、その用のときだけは一階へ。以前は、女性に連れられて精神科のカウンセリングに出掛けることもあったが、それも途絶えた状態。つまり、当人が部屋を出るのは、食事とトイレと風呂のときくらい。家から出るということはなし。言い換えれば、「当人の留守を狙って二階を見ることはできない」「強引に二階に上がるしかない」ということだった。当人の部屋をはじめ、二階には、たくさんのゴミが溜まっているそう。うず高く積み上げられているようなことはないながらも、床は、大半覆われ、所々が見えているくらい。たまに、当人の部屋を盗み見た女性の話と、当人の生活スタイルを勘案して、私は、部屋の模様を想像。自分で外に出て何か買ってくることがないわけだから、部屋に溜まっているのは、女性が用意したモノに限られているはず。つまり、ほとんどが、食品容器・菓子箱・菓子袋・ペットボトル・缶食等の食品系ゴミと思われた。あとは、衣類や鍋・食器類くらいか。ゴミの量は定かではなかったが、私が見たところで驚くほどのことではなく、“ありがちなゴミ部屋”になっているものと思われた。一通りの話を聞いた私は、作業が可能かどうか判断しかねた。また、費用がいくらかかるかも読めない。具体的に話を進めるには、現地調査が必要であることを女性に説明。そうは言っても、訪問したところで二階に上がれなければ意味がない。当人とトラブルになることも避けたい。考えれば考えるほど心配事がでてきて、それを吐露する様は、どっちが相談者なのかわからなくなるくらいだった。女性によると、「言葉の暴力に耐えられれば大丈夫!」とのこと。発狂したり暴言を吐いたりするのは日常茶飯事だけど、身体的な暴力に打って出ることはないそう。何かしらの理性が働くのか、当人は、その一線は越えないらしい。言葉の暴力にどこまで耐えられるか自信はなく、「殴られなければいい」ということも まったくなかったが、何らかのアクションを起こさなければ次に進めない。他人に話しにくい家族の問題を打ち明けてくれた女性の期待に応えたい気持ちもあり、現地調査の日時を約束して、とりあえず最初の電話相談は終わった。約束した日時に、私は女性宅を訪問。そこは、「大豪邸」というほどでもないながら、広い土地に建つ大きな家。寂れた感が強く、庭の手入れや、建物・外構のメンテナンスが疎かになっているのが気になったものの、想像していたより立派な建物。門のインターフォンを押すと、「お待ちしてました・・・どうぞ・・・」との声。自分の手で門扉を開け、庭を通って玄関へ。内側から開いたドアの向こうには女性がにこやかに立っており、私を出迎えてくれた。一階の広いリビングに通された私は、促されるまま、座り心地のよさそうな大きなソファーに腰を降ろした。女性は、お茶の用意をしてから、ドアを閉め、私の向かい側に。二階に声が届かないようにだろう、何やら悪い相談でもするかのような小声で「お電話でお話しした通りのことですけど・・・」と前置きして、話を始めた。「一人娘」ということもあってか、女性夫妻は当人を溺愛。「甘やかしすぎでは?」と自認するようなことも多々あった。「本人のためにならない」と自重したこともあったが、可愛さ余って厳しくしきれず。「甘やかし過ぎたんでしょうか・・・」「ワガママな娘に育てたつもりはないんですけどね・・・」と、女性は、悲しげな顔で、溜め息をつき、そして、「小さい頃は、おやつを渡しても“ママと半分ずつね”と言うような優しい子だったんですよ・・・」「可愛らしかったあの頃のことが忘れられないんです・・・」と、自嘲気味に微笑んだ。そこには、この期に及んでも、当人を見放すことも、見捨てることもできない、深い親心があった。親類縁者など、他に頼れる人はいないよう。行政に相談しても、「プライベートの問題だから・・・」と聞く耳を持ってもらえず。心ある人の中には、当人の説得を試みてくれた者もいたが、とんだ藪蛇に。正論や理屈が通用するわけはなく、当人は激怒し、手が付けられなくなるくらい逆上。誰彼かまわず怒鳴り散らすばかりで、何一つ聞こうとせず。「警察呼ぶぞ!」と、実際に110番通報し、警察が駆け付けたこともあった。女性は、悲壮感が漂うくらいの強い覚悟を持っていた。「手を出したりはしてきませんから、本人のこと無視して下さい!」と私に告げると、「〇〇ちゃん(当人名)、これからそっちに行くよ!」「もう、〇〇ちゃんの言いなりにはならないからね!」と大きな声で宣戦布告し、二階への階段を登り始めた。物音から、一階に来客があるのは当人も察知していたはず。しかし、二階にまで上がってくるとは思っていなかったはず。いきなりのことで慌てたのだろう、「親に対してそこまで言うか!?」と、憤りを覚えてしまうくらいの悪口雑言を女性に浴びせた。話には聞いていたし、その覚悟もできていたつもりだったけど、その現実を目の当たりにした私は、不覚にも怯んでしまった。しかし、そんなの慣れたことなのだろう、女性は一向に怯まず。ドシドシと威圧するような足音を立てながら階段を登り続け、私も、ややビビりながら、その後に続いた。二階に上がると、すぐに当人が視界に入った。我々の行く手を阻むように仁王立ちする当人は、「いかにも」といった風貌。久しぶりに目にする女性以外の人間(私)に、明らかに動揺している様子はあったが、目つきも顔つきも、体形も髪型も、服装も着こなしも、総じて、病的、危険な感じ。そんな当人と、そんな修羅場に遭遇して導かれた答はただ一つ。それは、「断念」。女性の要望が強いことはわかっていたけど、当人を越えて前に進むことはできず。調査は断念せざるを得ず、自ずと、それは、作業が不可能であることも示唆。暴言だけでは済まされず、場合によっては、暴力事件、悪ければ刃傷沙汰も起こりかねず、そんなことになったら本末転倒。女性の期待を裏切るようで申し訳なかったが、無理矢理介入して問題を引き起こすわけにはいかなかった。女性は非常に残念がったが、私の立場も充分に理解してくれた。で、結局、何の役にも立てないまま引き揚げることに。帰り際、先々のことについて、役に立つようなアドバイスもできず。また、気分が変わるような気の利いた言葉を残すこともできず。私は、自分に対しての後味の悪さだけを残し、惜しまれつつ女性宅を後にしたのだった。その後、女性親子がどうなったか、知る由もない。ただ、悲観的に考えるのは私の悪い癖だけど、女性親子の生活が好転することは想像し難く、また、親子関係が好転することも想像し難く、それでも、女性は、「娘を守りたい」という母心は持ち続けていくはずで、しかし、そんな女性だって、確実に年老いていくわけで、そのうち、自分の力だけでは、自分の身も生活も維持できないようになってしまうのは明白で、そうなると、当人は、どうなってしまうのか、女性が亡くなって、相続した不動産を金に換えれば、最期まで食べていけるだけの糧は得られるかもしれないけど、社会性も生活力も失くしてしまった当人が、そういった術を使うことができるのか、病気になったり介護の手が必要になったりしたときはどうするのか、このまま、朽ちていく家屋の中で、ゴミに埋もれて野垂れ死んでしまうのではないか、自分が死んだ後、そんな風になることを想像すると、死ぬに死ねない、老い衰えていくばかりの身体、朽ちていくばかりの家屋、減っていくばかりの貯え、好転の希望が持てない当人の人生・・・女性の苦悩は、察するに余りあるものがあった。種類は違えど、精神を病んでいる者としては、私も同類。そして、引きこもり経験のある私は、一方的に当人を非難できる立場にはなかったし、そんな気も起らなかった。自分にぶつけきれない鬱憤を女性(母親)にぶつけていい理由にはならないけど、「社会の落伍者」として生きていなければならないことの苦しみは私も理解できる。非難されても仕方がないことは当人もわかっているはずで、それだけ当人も苦しいはず。ただ、下り坂で転がりはじめた石を止めるのは簡単なことではない。いつかは、その気持ちが癒やされる日が来るのか、また、最期までこないのか、誰も知ることができない中で、ただ、一日一日、絶え間なく続く修羅場を、未来志向を捨てて生きるしかなく、まるで、死の際を歩かされるような人生を、死人のようにやり過ごしていくしかない。六月中旬、梅雨の候、どんよりした天気が続いている。梅雨寒の日でも、ちょっと身体を動かしただけで、途端に汗が流れる。毎年のことながら、この蒸し暑さには閉口する。とりわけ、一段と体力が衰え、今年は精神も傷んでいるので、一層、堪える。舞い込む現場も、徐々に修羅場と化してきている。更に、深刻化する猛暑の夏を想うと、辟易するばかりで、愚痴をこぼす元気さえなくなる。何もかも放り出して逃げだしたくなる。とにもかくにも、この先も、いくつもの修羅場が私を待っているはず。まるで、誰かが意図して用意したかのように。私を打ちのめすためのものか、それとも、一つ一つを乗り越える力をつけさせるためのものかわからないけど、生きているかぎりは、それを受け入れるしかない。ただ、私は、「乗り越えればいいことがある」なんて、安直に受け入れられるような性質ではない。それでも、「乗り越えればいいことが待っている」という望みは持っていたい。それが嘘だとはかぎらないから。本当に、そうなのかもしれないから。ゴミ部屋・ごみ屋敷事例はこちらへお急ぎの方は 0120-74-4949へご連絡ください