偽善意
もう、二十年も前のことになる。私は、会社近くの賃貸マンションで暮らしていた。駅近で立地はよかったのだが、その分、家賃は高め。併せて、色々な事情があり、岐路に立たされ、人生は、入居時には想像できなかった方向へ進み、結局、たった一年で転居することになった。そこで、不本意かつ不愉快なことが起こった。それは、部屋の原状回復についてのこと。ゴミを溜めていたわけでもなければ、掃除もキチンとしていた。タバコも吸わなければ、動物も飼っていなかった(迷い犬を一時的に保護したことはあったけど)。にも関わらず、退去時、預けていた敷金はまるごと没収され、追加の原状回復費用まで請求されてしまった。「たった一年しか住んでいないのに・・・」納得できなかった私は、不動産会社に説明を求めた。しかし、「居住期間を問わず、退去時には一律に請求させてもらうことになっているので」と、無碍の一言。その後、何度かやりとりしたが、納得のできる説明はなし。結局、「数万円で片付くなら・・・」と、私は、イヤな思いをすることから逃れたくて、泣き寝入ったのだった。似たような事案は、仕事上でも、数えきれないくらい遭遇している。賃貸物件を退去する際の原状回復についてはトラブルになることが多い。貸主(大家・管理会社側)からすると、部屋の原状回復にかかる負担は少しでも軽い方がいい。つまり、できるだけ借主に負担させたいと考える。一方、借主(住人側)からすると、その負担は軽い方がいい。そういった利害が対立することで、退去時のトラブルに発展するのである。賃貸物件は借物なのだから、善良な管理者としての注意義務を負って使用しなければならない。言い換えれば、「社会通念上“当然”とされる良識をもって丁寧に使わなければならない」とうこと。逆に言うと、「通常使用による損耗や経年による劣化は借主に責任はない」ということにもなる。ただ、発生した損耗が通常使用によるものなのか、また、発生した劣化が経年によるものなのか、結局それを判断するのは人の感覚。損耗や劣化を「当然」「自然」とみるかどうか、「悪意」「怠慢」とみるかどうかで着地点は変わる。孤独死現場やゴミ部屋・ペット部屋など、借主が良識をもって使用していなかったことが明らかな場合を除いて、双方で客観的・公正にそれをジャッジし着地させるのは難しい。前記の汚損事例を当社では「特別汚損」と称しているが、「孤独死」は借主(住人側)にとって分が悪い。遺体が腐敗してしまうと尚更。誰もが「不可抗力」とわかりつつも、原因をつくったのか借主であることはハッキリしており、「借主に責がある」とみなされる。自然死でもそうなのだから、死因が自殺となれば尚更そうで、貸主に対して抗弁の余地はなくなる。「管理しているマンションで孤独死が発生した」「退去立ち合いのため遺族と現地で会う予定」「我々だけでは判断できないことがあるかもしれないので、それに合わせて来てもらえないだろうか」と、何度か取引をしたことがある不動産管理会社から現地調査の依頼が入った。担当者は、そこで住人が孤独死したことのみ把握。死因をはじめ、亡くなってから発見されるまでの経緯や時間、汚染や異臭についての情報は一切持っておらず。ただ、遺族の態度や様子から、“一筋縄ではいかなそう”といった不安を感じているようだった。訪れた現場は、街中に建つ賃貸マンション。約束の時刻より早く着いた私は建物前で待機。ヒマつぶしに建物の外観を観察。窓やベランダの構造から想像するに、そこは単身者用のマンションで、間取りはすべて1K。そうこうしていると、程なくして、管理会社の担当者二名が現れた。どこかで時間調整をしていたのだろうか、二人とも、約束の時刻ピッタリに。私は、こちらに歩いてくる二人に視線を合わせて会釈。表情がわかるくらいまで近づいたところで、社交辞令の笑顔と共に言葉を交わして挨拶をした。遺族もじきに現れるものと思っていたが、「先に部屋に入っている」とのこと。我々三人は管理キーを使ってオートロックをくぐり、エントランスの中へ。そのままエレベーターに乗り込み、目的階のボタンを押し、目的の部屋を目指した。部屋の玄関ドアは既に開いていた。訪問のマナーとしてだろう、それでも、担当者はインターフォンを押した。すると、即座に中から応答があり、中年の男性が出てきた。笑顔を浮かべる場面ではないのは当然ながら、その表情は、強張った感じ。男性は寡黙で、短い挨拶の言葉以外、一言も発さず。抱える緊張感がビンビンと伝わってきた。我々は小さな玄関に脱いだ靴を揃えながら中へ。玄関を上がると、まず通路。その左側には下駄箱兼収納庫とミニキッチンが並び、右側には洗濯機置場とユニットバス。その奥が六畳程度の洋間。そして、突き当りの窓の向こうには、狭いながらも生活で重宝しそうなベランダ。見晴らしも陽当たりも良好。駅も近く、周辺には店も多く、「高級」という程ではないものの、やや贅沢にも思えるくらいのマンションだった。我々が集合した用向きは、「部屋の退去・引き渡し」だったため、当然、室内に家財はなく空っぽ。また、部屋も水周も、少々の生活汚れがあっても然るべきところ、きれいな状態。どうも、一通りのルームクリーニングをやったよう。部屋を退去する際の礼儀としては充分過ぎるくらい・・・見方を変えると、ちょっと不自然に思えるくらいきれいだった。ただ、そこは孤独死があった現場。で、違和感を覚えることがいくつかあった。それは、暑くもないのに玄関や窓が全開であったことと、ユニットバスとキチンの換気扇が回りっぱなしだったこと。そして、人工的な芳香剤臭が強めに感じられたこと。その状況から、私はすぐに“ピン!”ときた。それは、異臭対策。部屋に異臭があるからこその対策。「異臭がある」ということは、「遺体は腐敗していた」ということ。「腐敗していた」ということは、「汚染があった」ということ。「汚染があった」ということは、「汚染部からは強い異臭が出ている」ということ。訊きにくいことだったが、私は、男性に故人が倒れていた場所を質問。すると、男性は、「部屋のどこからしいんですけど、詳しいことはよくわかりません」と返答。男性は、遺体があった状態の部屋を見ていないようだったので、まずは得心した。が、考えてみると、状況を警察から聞いた可能性は高い。にも関わらず、「わからない」と言うのは、何とも不自然。そうは言っても、「知らないはずないでしょ?」と問い詰める権利が自分にないことは百も承知だったので、私は、これからやるべきことを考えつつ、それ以上のことは訊かなかった。結局、玄関から台所、ユニットバスにかけて一か所一か所を確認することに。私は、どこかに汚染痕がないかどうか、部屋のあちこちを凝視。また、ときには四つん這いになって、方々の床に鼻を近づけ、犬のように隅から隅へとニオイを嗅いで回った。すると、台所と部屋の境目付近の床で強い異臭を感知。同時に、不自然な変色も。一見すると見落としそうになるくらいのものだったが、よくよく見ると、床の一部がわずかに暗色になっており、その部分の目地にも妙な汚れが浸みついていた。ニオイの種類といい、変色といい、経験上、私にとっては、それが腐敗遺体の汚染痕であるとするのがもっとも合理的な判断だった。とは言え、男性がいるその場では、具体的なコメントは避けた。それが、男性に対する私なりの最低限の礼儀だった。で、部屋の見分を終えた私は、担当者に声をかけ、男性を部屋に残し、一旦 外へ。そして、「あくまで個人的かつ主観的は所感」と前置きした上で自分なりの見解を伝えた。それは、「故人は、台所と部屋の境目付近に倒れていた」「発見が遅れ、遺体は酷く腐敗していた」「表向きには分かりにくいが、腐敗遺体液は床材に浸透し、下地まで汚染されている可能性がある」「外部の空気が通っている間は感じにくいが、部屋を密閉すれば強い異臭が感じられるはず」といったものだった。管理会社が私に求めてきたのは、部屋の原状回復についてルームクリーニングのみで済むのか、内装の改修工事や設備の入れ替えが必要なのかどうか、仮に内装設備の改修が必要な場合、どの程度の工事が適切なのか等の関する意見。その管理会社(貸主側)は、私にとっては“客”。しかし、偏った意見を言うつもりはなかった。忖度なく、あくまで、客観的に、公正に判断するつもりでいた。ただ、部屋には、通常の生活では発生しようがない種類の内装汚損があり、特有の異臭が残留。通常使用では起こり得ない状況があったわけで、それが現実であり事実。男性(借主側)に責があるのは明白。私に悪意はなかったのは当然ながら、結果として、男性にとって不利な意見ばかりを並べることになってしまった。一方で、男性の保身に走りたい気持ちも痛いほどわかった。この類の補償や賠償については、世間一般に認知されている「適正価格」や「標準価格」といったものがないから、不安は尽きなかったはず。「そこで住人が亡くなっていた」という事実は覆せないにしても、部屋の汚損や劣化は「日常生活における通常損耗」として決着させたかったに違いない。そのために、男性達遺族は、素人ながらに、精一杯の原状回復を試みたはず。汗をかき、涙をのみながら、市販の物品と自分の手を使ってできるかぎりのことをやったはず。愛する娘が使っていた家財を片付け、遺体汚染を掃除し、手強い悪臭と格闘し・・・懐かしい想い出と、深い悲しみと、後始末のプレッシャーと、事後補償の不安・・・ただ、残念ながら、内装建材は相応に傷んでおり、その汚染は、素人の清掃で片付くほど軽いものではなく・・・先の見えない金銭的負担や精神的負担について際限のない不安に襲われながらの作業が、どんなにツラいものであったか、想像すると気の毒で仕方がなかった。結局のところ、フローリングは下地ごと、天井壁クロスの全面的な貼り替えも避けられそうになかった。もちろん、本格的な消臭消毒も。原状回復させるにためには、他に選択肢はなかった。そして、かかる費用のほとんどは遺族が負担することになるはず。ただ、私の見解があってもなくても、早かれ遅かれ、内装汚損と異臭の問題は明らかになったはず。だから、男性に対して申し訳ないことをしたといった感覚はなかった。内装の汚損も残留する異臭も、それに見合った工事や作業で片付けることはできる。物理的には、それで原状回復は実現できる。しかし、そこで起こった「孤独死」「遺体腐敗」といった事実まで消すことはできない。夢幻の出来事にしたくても、「事故物件」「瑕疵物件」という事実は残る。これは、貸主にとっても借主にとっても、大きな損害となる。しばらくの間、当室の家賃は従来額より引き下げざるを得ず、場合によっては、それは現場となった部屋だけでなく、隣の部屋や建物全体にも影響する。そしてまた、それは死因によって・・・「自然死(病死)」なのか「自殺」なのかによっても大きく異なる。その訳を言葉で表すのは難しいが、人々が抱く嫌悪感や恐怖心は自殺の方が大きい。言うまでもなく、その分、その後の補償も膨らむ。そこに暮らしていたのは、男性の娘で歳は二十代後半。肉体が腐敗するまで発見されなかったことを考えると、「無職」またはそれに近い身の上だったのか・・・浅はかな偏見なのだが、若年者が孤独死する原因として「病気」は浮かびにくい。「病死」と並行して「自殺」という二文字がどうしても過ってしまう。「死因も確認した方がいいと思いますよ」一通りの見解を述べた私は、担当者へそう言いかけた。しかし、咄嗟に、その言葉を呑み込んだ。何かしらの理性に制止されたわけでも何かしらの正義が過ったわけでもなかったが、思わず口をつぐんだ。故人に対する同情でもなく、男性に対する優しさでもなく、ただ、自分が嫌な思いをしないため、自分が悪者になりたくないがために口を閉ざしたのだった。ただ、その時点で、私がそのことを口にしようしまいが、結果は変わらなかったはず。どちらにしろ、先々は、家賃補償の問題も浮上するはず。併せて、死因についても。私ができたことと言えば、死因が自殺でなかったことを願うことのみ。ただ、これもまた、一時的な感傷、穢れた自己満足・・・この一生につきまとう、「私」という人間の本性を表す乾いた偽善意なのではないかと顧みるのである。孤独死部屋の処理事例はこちらお急ぎの方は0120-74-4949