図書館で順番が回ってきました。



記者である著者が獄中の娘に面会や往復書簡で取材し、娘が母を殺害し遺体をバラバラにして遺棄した事件の経緯を綴ったノンフィクションです。

医学部9浪、教育虐待、というキーワードと共に目にされた方も多いと思います。



本の中の母親の言葉にも娘の言葉にも、自分と重なる部分が0ではないことに恐ろしさを感じました。と同時に、重ならない部分が大きいことに正直安心もしました。


文中では「娘の出来が悪いせいで私は不幸だ」と母親が娘を繰り返し罵倒しており、母親の強い他責思考と依存心がたまらなく嫌でした。


読みながら、


もしあの時母親が〇〇だったら…、

もしこの時娘が〇〇していたら…、

もし父親が〇〇していなかったら…、


と考えてしまうもののもう時間は戻らないし、考えても考えても、その親子の過ごしてきた膨大な時間と深い闇を前にするとどんな思いも軽く感じてしまう、そんな本でした。


ただ、私なら、と考えると、娘に殺される、ということよりも、娘が自分のせいで”母親殺し”になり、一生その罪と共に生きていかなくてはならなくなることの方が母としては気が狂いそうになります。


そして、常日頃、勉強や日々の暮らしは小さいことの積み重ねで、積み重ねてきたことは大きな力になる、と良い面ばかりに注目してきましたが、負の出来事や感情も積み重なると、大きな力、強固で頑丈な "牢獄" になってしまうのだと思いました。

閉鎖的な環境で小さい負が積み重ねられ、エスカレートした結果、手に負えない事態になってしまうのだとすれば、都度都度、問題を自覚し、自問自答し、自省・自制し、行きすぎないようにするしかない、と。


親としては娘たちに幸せでいてほしいと切に願っていますが、誰しも大事な人には幸せでいてほしいと願うであろうことを考えると、娘たちも私が幸せそうならうれしく感じてくれるはずだから、私もにこにこしていよう、自分のことも頑張ろう、そういう小さいことを積み重ねていこう、自分の幸せは自分で作り出せる人でありたいと思いました。