先日、お墓参りに行ってきました。
祖母の実家のあった所は、私にとっては「西の魔女が死んだ」でいうサンクチュアリのような場所でした。
おじいちゃんおばあちゃんがたくさんいて
(もはや親戚かどうかすら分からない人たちが常に数人寄っている家でした)、
これ食えあれ食えとおいもの煮っ転がしやらふかしたとうもろこしやらをもらい、
外で煮炊きしている側で火遊びもし、
畑で遊んでいると、どこの子ぉだ〜?と近所の人に声をかけてもらって家に上がりこみ、一緒にテレビでお相撲を観ながら漬け物をつまみ、
冬の夜は豆炭アンカを作ってもらい…。
でも、もう、誰もいません。
思えば、子供の頃は戦争を今より近くに感じていました。
仏壇には東京大空襲で亡くなった「東京のおじさん」の写真があり、月命日には祖母が手を合わせていたり、
祖母の実家に行くといつもお小遣いを握りしめて通っていた駄菓子屋のおじさんの目が見えないのは焼夷弾にやられたから、と普通に知っていたり、
祖父母や親戚のおじいちゃんおばあちゃんを通して戦争の気配を感じていたように思います。
戦後の教育はGHQによる占領政策だった、という話も聞くと、確かにそういうこともあるのかと思います。
でも、戦争を知っているおじいちゃんおばあちゃんたちと接することもできなくなり、私が小さい頃は毎年夏休みの宿題だった戦争に関する課題図書の読書感想文もなくなり、8月15日のテレビもほぼバラエティになっているのを見ると、これからどうなっていくのだろう、と漠然と不安を覚えます。