年齢とともに思い出話をしたくなるものなんですね。祖母や母の言葉を実感中。


言葉にするから忘れないのか、

忘れたくないから何度も話すのか。


受験の記憶が薄れる前の記録として始めたブログですが、忘れてしまいそうなことが多すぎて、結局、受験以外のことまで書いています。


*以下(というか最近)、受験とは一切関係ないです。



15年ほど前、娘どころかまだ結婚もしていない頃、祖母の看病をきっかけに "本友ができました。その方に勧めてもらった本の一冊が梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」でした。



題名をずっと覚えていたものの、手に取る機会がないままだったのですが、一昨年の今くらいに図書館に行った際、返却棚にポツンとあるのが目に入り、借り、読みました。


そして、自分の子供時代のサンクチュアリやもやもやを思い出し、娘の未来に思いを馳せ、祖母との別れも経験した後だからこそ感じることもあり、ぼろぼろ泣きました。


この本とは、今、出会う運命だったんだおねがい


と一人で感動して盛り上がり、その勢いのまま、疎遠になってしまっていた友人にまで連絡して久しぶりに会いました。


それからしばらく梨木香歩さんの本を立て続けに数冊読みました。その中でこれまた色々考えさせられたのが、「春になったら苺を摘みに」というエッセイでした。


読了後、しばらくつらつらと本のことを考えていた時に、たまたまきた別の友人からのメッセージの中に


自分の大切なものについて、理解できなくても寄り添ってくれる存在


という部分がありました。


これが「春になったら苺を摘みに」の主題ともいえる考えとほぼ同じ、という偶然。


良い本を紹介してくれる友人。

その本をきっかけに読んだまた別の本。

その別の本の世界観そのままの言葉をくれたまた別の友人。


15年前に始まったパズルの最後の1ピースがはまったような、15年前に描き始めた線がつながってきれいな円ができたような、そんな気持ちになりました照れ



おばあちゃんとの宝物のような時間の物語。

梨木香歩さんがイギリス留学時の下宿先の女主人ウエスト夫人との話。多様性とは…と考えると難しいですが、ウエスト夫人のように色々な人・考え・生き方を受け入れられたらと思いました。