知りたいけれど、なかなか聞けない、ということもあるかと思います。
学校説明会に行っても、その時点で学校がどこまで宗教色を出すかはそれぞれだと思いました。(あまり宗教色を出さないようにセーブしている学校が多いように感じます。)
昔の話になりますが、卒業後、よく聞かれたのは、「信者なの?」や、「信者の人が多いの?」ということでした。
信者の先生や生徒さんの割合は、他の学校よりは多分多いけれど、数名、という印象でした。信者だから、信者ではないから、と区別されることはありませんでしたが、自分のことを偽善者だと鬱々としていた当時、信者の友人が眩しく見えていました。
宗教の授業は、キリスト教を布教しようという意味合いのものではありませんでした。聖書を読むこともありましたが、自分自身を見つめること、そして、他人のことを考えること、をしていたように思います。道徳・哲学の授業のようなものでした。
長女受験の際の学校説明会で、アピールポイントとして、
「西洋の文化・歴史・政治を理解する上でキリスト教の知識があるとよい」
と、聞いたこともあります。
確かにそうなのかも。
でも、大仰な気もします。
私が実際よかったと感じているのは、もっと、個人レベルの内面的なことです。
「あなたたち一人一人、
とっても大事なんだよ。
み〜んな大事なんだよ。」
と言われ続けたことの効果を、卒業後数年してから今までじわじわと感じています。その後の人生の幸福感にもつながっているような気がします。
(だからこそ、小学校の6年間、長女たちの学年が「あなた達の学年はダメだ。こんなダメな学年見たことがない。」と言われ続けていたことにとてつもなく不安を感じていました。☞学年崩壊という名の修行
みんな、大丈夫なのかしら…)
以上思いつくままに書きましたが、四半世紀前と今とでは違うでしょうし、同じミッション系でも学校によって違うと思います。
そしてそして、在学中は、特別な良さなど、な〜んにも感じていませんでした。
卒業して、外の世界に出て、色々な経験をし、本を読んで、少しずつ感じることができる良さだと思います。
…ということで、宗教教育、結構いいと思うんだけどな〜、なかなか前面に出てこないな、と思っている、一個人の考えでした。