もしも、話すことばが目に見えたとしたら…
長女が学年崩壊していた小学校で過ごした六年間、それはそれは色々なことがありました。
崩壊していなかったとしても、まだ小学生。
言葉選びに失敗することも、行き違いもあると思います。
長女は、様々なストレスを受けて帰ってきては、言われて嫌だったこと、聞こえてくるだけで不快だったことを逐一私に話してくれました。それが長女なりのストレス軽減法だったのだと思います。
私にとっては不安になる情報だけを聞かされ、癇癪をおこしては当たられ、つらかった…。
そんな中、「言葉は大事だよね。」「言葉は心を表すんだよね。」と、大事なことを確認するように長女と何度も読んだのがこの本でした。
以下カラー部分は抜粋です。
もしも 話すことばが 目に見えたら
だれかを傷つけることばが
針のかたちをしていたら
相手に刺さって
血のにじんだ傷口まで見えるとしたら
ことばの使い方は変わるだろうか
だいじな忠告が
木の実のかたちをしているとしたら
投げつけられたときは痛いけれど
ひろって育てたら実ることもある木の実
見てすぐ分かったら
素直にうけとることができるだろうか
「だまっている」ということばのむこうに
ゆたかな森がひろがっているかもしれない
嫌な言葉を四六時中聞いていると、それを気にしないふりをするようになる。
そうじゃなくて、嫌だって思っていいんだよ、傷ついたからってあなたが弱いんじゃないんだよ。心は血がにじんでるんだよ。だから、手当しなきゃでしょ。
痛みを感じなければ楽になるけれど、同時にうれしいことも感じられなくなっちゃうから、何にも感じられなくなるのは悲しいかな〜。
「投げつけられたときは痛いけれどそこから芽がでるかも」って分かる?いつか分かってほしいな。
等々、色々話しました。
言葉も心も大事にできる人になってほしいと願っています。
私も大事にしなきゃです。