自分ができるからそう感じる。
さっきもそう。
インスタで地元の妊婦の友達が5連続ストーリーを投稿していた。
その時、日本は朝5時頃で、私の住む国は就寝前の暇な時間。
見てみると5回のストーリー全て、小さな文字でびっしりと産前産後の悩みが書き綴られていた。
私も子を産んだ母。
その子はフォロワーも少なく、この時間帯は日本の誰も見たりコメントしていないと感じた。
最近この子の投稿を見ているといつも不安そうだったので、自分の体験談を教えて少し励ますことにした。
私からこの子に絡んだことはないが、この子からよく私にコメント(メッセ)したり質問をしてきたりしてたので返しても良い仲と判断した。
ということで、膨大な5連続長文ストーリーに対して、少し体験談を交えた長文でメッセをして励ました。
そして帰ってきたのが、
ストーリー読んでくれてありがとう、のみ。
鬱ではないようだし、ただ落ち込んでるだけなら、あと2〜3文つけ足して返すのがマナーじゃない?
「トポちゃんもそうだったのか〜
」

みたいな私の体験談への返しや、
「やっぱりみんな経験するものなのかな
」

みたいな私の共感への共感返し、
それからありがとうねと添えて返すのが普通な気がするのだが。
なにも読書感想文を求めているわけでない。
相槌や社交辞令を入れてほしい。
ありがとうと言えば良いものじゃない。
私たちは会話をしている。
SNSだとしても、コメントし合う・メッセし合うというのは会話をするのと同じだと思う。
この子だって5連続で辞書のような長文ストーリーをあげるほど書ける子。
ありがとう、だけで返すのは思いやりや感謝の欠如だ。
そうなのか〜
、と付け加えるだけでも違う。

そう言えばこの子は前もそうだった。
いつも私のストーリーに質問してくる。
「変わった野菜だね!名前は?どうやって調理するの?」
「私もこの人のコンサート行きたいんだよね〜!でもいつも売り切れて。どうしたら行けるのかな」
だから私は
長々と調理方法やチケットの入手方法を書いて返したのだが、
そう言えば毎度短文で、
そうなんだ!
とだけ返されたな。
この子はそういうタイプなのだろう。
しかし、そういうタイプだからと許されないと思う。
スマホ論争で、長文派・短文派があるが、それとは別の話だ。
長く説明してもらったらせめて2〜3言、その内容についての感想をつけて返すのが礼儀だろう。
短文派とか関係ない。
社交を知らない失礼なやつだ。
私のプライバシーな部分や病名もさらけ出して書いたのにそれに対してのコメントはなし。ありがとう、だけはなしだろ。
メッセ内だが、私のプライバシーや病名が露出し、無視されている状況に私が耐えられないので、私の長文は消させてもらった。
もしも、私のコメントが迷惑だったとしても、ここまで書いてくれたり心配してくれたなら、私なら一言添えるが。