日本旅行から帰ってきました。
一言で言い表すならば、、、
『病気』の日本旅行だった。
今回の旅程は、
羽田空港直結ホテルで一泊
↓
レンタカーで日光へ二泊
↓
レンタカーで山形天童温泉へ一泊
↓
父から車で迎えに来てもらって実家へ
↓
一週間実家
↓
五日間東京観光
という予定だった。
まず、行きの飛行機に乗った瞬間
咳が出始める。
飛行機内は乾燥しているからそれかと思っていたが、結局この旅の間ずっと咳してた。
なんなら今もしてる。笑
日光旅行の間は一切声が出ず枯れていた。
天童温泉以降からは嘔吐してますか?ってくらいゴブォっていうひどい咳。
乾燥するとガボォゴブォグェエっていう咳が止まらなくなる。実にひどい咳。
一言話すことはおろか、呼吸するだけでも喉が乾燥して咳が止まらなくなる。
今回は年末年始の帰省ということで、親戚や友人との集まりが多かったから、たくさん話しかけられて悪化する一方だった。
後半からは「私もう話さないから話しかけないで!」って宣言する始末。笑
それでも年寄りや親戚は容赦なく話しかけてくるから宣言の意味はなかったけど。笑
もう「うん」って返事しようと喉に力込めるだけでも痛すぎて呼吸困難レベル。
そんななか、いやーな悪寒が。
うわー来る来るー。
あと1日で東京へ帰らなきゃいけないのに『熱系』のなにかが絶対来るー。
ということで、実家最終日にインフル発症。
どんな薬を飲んでも40°から下がらず、救急へ。
もう一生行くことはないと思っていた地元のなつかしすぎる総合病院の救急へ。
今回旅行保険入るの完全に忘れてて100%自費になったけど、1万7,000円程度だったので良かった。(※イギリスのポンドに換算するとたったの半額の85ポンド程度。痛くも痒くもない。)
そして半日で37.0°に下がり無事に東京へ戻れました。
最近のインフルの薬強すぎてびっくり。
こんな簡単に下がるの?
小学生の頃とか1週間くらい熱出てた記憶があるんだけど。笑
しかし悪夢はここで終わらず。
東京着いて娘が(多分)インフル発症。
私の時のようにどんな薬を飲ませても40°から下がらず、夜中3時にホテルのフロントに頼んで救急へのタクシーを呼んでもらう。
ここの病院でも問題が起きたけど、その話はまた別のブログで。
そして診察。
インフル発症から12時間以内だとインフルのテストで陰性になることが多いらしく、娘陰性。
なんとインフルの薬もらえず。
薬局で売っているのと同じ解熱剤しかもらえずにホテルに帰宅。行った意味がなさすぎた。
そしてインフルの薬がない娘の熱は全然下がらず、5日間ホテルで闘病生活になった。
海外から来たとかホテル暮らしだとか何ももってないとか説明したのに、みなし陽性?にして薬くれないなんて融通きかなすぎる。
心細すぎた。
ということで5日間、
一切観光せず、コンビニ食で、いうても私もまだインフル2〜5日目のコンディションで、寝不足と栄養失調のフラフラの状態で看病に勤しんだ。
キッチンがないので娘にお粥や野菜スープなんかも作ってあげることができず、本当に大変だった。
東京の観光地ど真ん中のホテルだったのでスーパーがなく、食べやすい新鮮なフルーツすらあげることができなかった。
娘は1日牛乳一杯と少しのグミやゼリーだけで生き延びた。
ホテルの朝ごはんビュッフェのブロッコリーやお粥、味噌汁、ソーセージなどを部屋へ持って行っても一切食べず。
本当に危機的状況だった。
更にはホテルの部屋が乾燥しすぎてて、私のように娘もゴボォっていう咳をしてて、夜は30分寝ては喉が乾燥して起きて大泣きの繰り返し。
24階の豪華な夜景が見える部屋に泊まってたけど、
このストレスたまる状況なのに、窓を開けてリフレッシュすることもできないし、なんか高すぎて常に揺れてる感じがしてイライラするし、
特に夜中なんかその無機質で壮大な都会の夜景が私を孤独と不安にさせて、気が狂いそうだった。
まるで、誰も私のことなんて助けてくれない・気に留めてもいない・なにか更にひどいことが起こっても1人で対処していかなきゃいけないんだと思わせるような...
結局、イギリスへ帰国する朝まで熱に苦しんでいた娘だけど、ギリギリで37.0°に落ち着いたので無事に搭乗。
フライト中、娘は全く寝れなくてずっと泣き叫んでいて地獄すぎるフライトだったけど、なんとかやり遂げました。
娘と私本当にがんばった。
そして帰宅してすぐ1週間ぶりの手料理を作り、娘に出した。
野菜とチキンのスープだったんだけど、たくさん食べてくれた。
5日間まったく何も食べなかったのに
やっぱり家だと違うよね。
そしてたっぷり寝て、次の日には元気になった。
良かった良かった。
一件落着。
はーやばすぎた。
厄年終わったかと思ってたのに、今年もまだ後厄っていう厄年なんかい!!
知らなかったし、恐ろしすぎる!!