おもに、灘高校の生徒に向けてメッセージがあります。 それを軸にした、英語に関する記事になります。 かなり気合を入れて、今の私の指導経験のすべてを詰めてみましたので、 英語に悩む方は是非読んでみてください。(僕も英語は修行中ですが!)

 

英語を苦手としている、けれどもゴリ押しで伸ばそうとしている学生に

今回は私の出身校である灘高校の生徒をモデルに、英語の学力向上のストーリーを提案してみることにします。 なぜこういう記事を書くことに至ったかというと、現在灘高校在籍中の生徒が複数おり、それぞれに英語の読解能力の向上がみられているという現状をかんがみ、それを敷衍して灘の生徒にどのようなアプローチができるかを考察しようという運びになったからです。 別に、灘に限ったわけではなく、あくまでもモデルにすぎないのですがね。 灘の特徴は理数系に強く、英語がそのぶっちぎり傾向に追従する形、もしくは若干足を引っ張り気味になるというものです。この傾向がある学生にとっては、同じようなストーリーをたどることができると思いますよ。

 

英語の底上げが出来たなら、浪人率は更に下がる

もちろん灘高生が英語に弱いと断定するわけではありませんが、あくまでも灘は理数でごぼう抜きをしようという生徒が多く集まっていることは確かで、英語に絶対的な自信を誇る学生がもっと多くてもいいのでは、と思います。かくいう私は、理数に全く手ごたえがないなかで、英語に関しても暗中模索の状態が継続したという経験を持っているんです。 もし灘の生徒が、英語に関しても、数学の公式を常識のように取り扱うのと同じ程度に、自由に読み・書く(聴く・話すについては、思うようにいかないやも知れませんが。)ことができれば、今以上に、もはや日本で右に出るものはいないくらいの素晴らしい集団になるのではないでしょうか。

 

大学で英語をゆったり底上げ出来る暇等無い

じつは、英語というのは理系の生徒にこそ地に足をつけて学ばれてほしい科目なのです。灘の理系の生徒が身につけるべき英語は、「日常会話」「パターンを使って自由に話せる紋切型英語」ではなくて、理科の専門的内容を含む素材を読み解いたり、書き表したりできるような英語ですよね。なぜならほとんどが医学部ないしは難関の理科系学部に進学するという事実があり、そこでは否応なしに英語の論文とつきあわなければならないからです。医学界の共通語も、ドイツ語からどんどん英語へとシフトしているといいます。ひとたび業界人になってしまえば、英語は目的ではなく手段になります。 「いや、そんな先のことまで考えてないし、綺麗事に聞こえる。受験が突破できればとりあえずいいんだ」と考える方も多いと思います。ただ私からは、大学に入ると理科の専門科目の勉強が非常に忙しくなり、英語の底上げをしている暇なんてないんだよということは言っておきましょう。

 

大学以降の英語教育では、英語それ自体の指導などしてくれない

論文や素材と向き合うとき、そこにさしはさまれる思考は、純粋に実験や調査の内実をどうにか掴もうとする意志だけです。日本語に直しても理解できるかわからない文章なのに、文法がどうとか構文が分からないというレベルの思考がはいるスキは全くないということです。 それから、大学では、読解レベルから英語の個人指導が受けられるということはほぼありません。残りは自力で這い上がれ、の世界です。大学教授のほうも、大学受験レベルの英語から徐々にステップアップしていこうという温情は与えてくれません。 英語は英語だろ、読みなさい、と冷酷に専門用語をたっぷり含んだ文章を与えてきます。いや、与えてくれるだけまだましで、大学生は「何を読むか」「何を【読まないか】」まで自分で取捨選択しなければならないのです。これは少なくとも灘高校生の主要進学先どこにでも当てはまる現状です。

 

地道に取り組めば確実に効果が上がるミドルレンジ

具体的戦術がわかりやすいように、東大英語の例で考えてみると、60点で大きなキズにならないように収めようとしている生徒に対して、90点以上を目指させるというストーリーが考えられます。これで30点以上のアドバンテージになります。 なぜこれが有効かというと、30~40程度しか取れていない生徒はそもそも基礎力が足りていないと判断され、地道な努力に見合った一歩一歩の伸びを期待するしかないのですが、すでに60をとりきる能力のある生徒であれば、そこに甘んじない少しの勇気と、語彙強化と速読の体力づくりだけですぐに効果がみられる可能性があるからです。(単にやったことがないことをさせる、という試みです)

 

酷い固定観念と、育っていない英語(言語)に対するイメージ

灘の生徒をみていてしばしば抱くのは、 「持っているセンスは悪くないのだけれど、英語はこうお勉強するものだ、という固定観念にしばられて自由に考えられていないなあ」 「とにかく単語に対するひとつひとつの新鮮なイメージがなくて、力任せに読もうとしているなあ」 「頭の働かせ方や、読み詰まったときの解決法そのものが違っているなあ」 という感想です。そしてその割には、構文の取り方や訳読の安定感に欠けるといった場合が多いです。おそらく頭の回転があまりにも良いので、せわしなくなってしまって、腰を据えてゆっくり解体してやろう、という真摯さが足りないのだと思います。それになんら疑問を抱いていないことに不安を覚えます。

 

見方の転換

点数が足りないのは単なる努力不足、と間違った判断をしてしまいます。(往々にして灘の生徒は努力を敬遠しますが、努力嫌いなら、努力しなくても成果を上げる方法を英語でも考え付けばいいのです。)数学には天性の要領の良さを発揮するのに、なぜ英語には発揮しないのでしょうか。 このような特性を客観的に観察している私からすれば、「ここの考え方をちょっと変えるだけで気が楽になるのになあ・・・」と助言したくなるのです。 英語という科目の特徴は、情報のインプットが多くを占めるので、数学の解答とは違って、自分の思考プロセスが紙の上に書き残せないという点にあります。これは重大なことです。友達と読み方を比べることもできません。自分にしかない「クセ」があったとしても、誰からも教えてもらえません。確かめるために、全文和訳を常にするわけにもいきませんよね。これは本当に重大です。 料理にたとえてみましょう。 単語を覚えたりして予備知識を入れること=材料をそろえる段階。 初めての文章と格闘すること=調理中。 出来上がった解答や和訳文=できた料理。 とすると、数学では調理中の姿まで師匠に見せながら、教えてもらえるのですが・・・ 英語になれば(国語も同じですが)、できた料理だけを見て「味が悪い」と一喝される。そこで生徒が見直すのは、調理中ではなく、なぜか材料をそろえる段階。 「材料が悪かったから、有機野菜を買い揃えよう」と新しい単語帳を買ったり、 「包丁が使いにくいから、とごう」として文法の問題をしたり、 「何回も作れば改善するだろう」として同じ方法で作りまくったり・・・。 これでは意味がないですよね。やはり調理中にどんな火加減で、どんな調味料の入れ方をしたかを反省しなければいけません。 ClassOnCloudで僕がやっていることは、調理中の状態に生徒をひきもどして、逐一立ち止まって、「このとき何を考えた?」「単語を覚えてても、読むときに適切な語義が出てこないのは、なぜ?」「読めないなら、どう打開すればいい?」とリアルな視点をもって実況中継をすることです。

 

きっかけを大事にし、少々の実践を通じて大きく変わる事が出来る

多少おせっかいかもしれませんが、足りない部分を補うだけで、大多数の生徒が大きく事態を好転させることは考えられます。 ClassOnCloudでは、灘の生徒が抱きやすい諸問題が多少なりとも把握できているので、具体的レベルから有効なアドバイスをすることができます。 実際に、灘の受講生からも「センター英語で7割から9割弱まで上がった」とか、「読みやすくなった」という反応をいただいていますし、普段接する中でも、明らかに感度が上がった、繊細さが増したと思える瞬間が多くなっています。 他の塾・予備校は基本的に受け身の授業なので、自分の思考の流れを振り返ることができません。少人数の双方向指導だからこそ、お互いにコンディションを確認しながら、正しく頭を稼働させる方法について学べるのです。英語は力づくで何とかする科目ではありませんよ。 他と同様に、長い経験と科学的根拠によって、正しく勉強する科目です。もちろん単語の覚え方や文法事項の考え方についても、すっと理解できるやり方というのを個人に合わせて考案する必要があるのです。みんな同じようにはいきません。 結果的に宣伝になってしまうのですが、このところをよく考えていただいて、ぜひ受講をしていただければと思います。体験授業もいつでもやっています。ぜひご検討ください。

 


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