

シーリグが以前教室の座席の配置を比較した授業での話(画像は同じものではないですが特徴は同じです)。創造性を養うための指導のエッセンスを語っています。
そしてこれは多くの学生が内職をする、あるいは授業中寝っぱなしの上の方の進学校(例えば灘・神女・oin等)の学生にとっても多くの示唆に富んでいます。
日本の学校もそうですが、従来型の授業では、黒板の方を一斉に向いて授業をひたすら受身で聞いています。少人数制の一部の優れた指導を提供する多くの海外の中等教育の場では発言を闊達に行いますが、それでもその構図は同じです。
それが社会人になり事務方の職種に就くと、1枚目のような作業場が与えられます。更に個が孤立した環境に押し込められ、自分らしさなど及ぼす余地がない状況に追い込まれます。空間がそのように設計されているため、基本的にコミュニケーションができません。
2枚目はシーリグの授業の1枚です。全員が黒板を向いて黙々とノートをとる、なんてことはあり得ません。散在するテーブルを少人数で囲み、互いの顔を見ながらコミュニケーションベースでの指導を実践しています。イノベーションプログラムでのシーリグの授業では、まるでその配置は幼稚園の遊具を置き並べたかのようでした。
もちろん知識や技術を植え込む授業では本を開いた講義形式のものはそれなりに重要ですが、何か価値を生み出すことを想定したクラスであるならば、互いの表情すら見えず、意見も聞かなければ、感覚を言語化することなどよぎることすらないプロセスで何か出てくるわけがありません。
現在の中等教育の主流になっている、知識体系をカスケード式に流し込んでいくやり方は、顔の見えない量産型の人材を効率よく育てるには向いていた指導法です。主にこうした人材は高度成長期である70年代に必要とされましたが、いまはもうそういう時代ではありません。
互いの競争力を引き出し、また世界観を重ね合わせては多角的に問題を捉える力なり、問題そのものを設定する力がまず重要になります。情報や知識体系は独学でもどうでもなることは、できる学生ほど自覚があるでしょう。そういうことではないわけです。
内職や寝っぱなしの状態を事実上容認し、代替するコンテンツを提供できてい無い学校にも、惰性で授業をやり過ごしている学生にも問題がありますが、それをやっている本人たちは自分達が量産型として育てられていることにおそらく自覚はないでしょう。学校で寝てるタイプも似たようなものです。所詮個々が「やりたいことをやっている」ところで、互いの良さを互いに引き出せなければ(ここが重要。指示待ちでは意味がない)、相乗効果は生み出せません。
結局ペーパーテストが個の評価であり、互いの力を引き出す力なり、集団として価値を生み出す力を評価不能であること、ペーパーテストへの評価が絶対だと、学生も父兄もみなしていることがいまの状況を生み出しています。「学校はクソ」と言いつつも、結局それを望んでいるのは自身でもあること、そしてそれを変える意思を未だ日本の多くの学生は持ち得ないことを、この二つの写真は示しています。
cocがコミュニケーションベースでの授業であることにこだわっていることには、ここにも大きな理由があります。学生の表情が見え、感覚を言語化する習慣がなければ、自分の価値を磨くことも、相手に伝えることもできません。
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