先日、滅多にないほどの過酷で貴重な体験をした。
夜の雪山を、星明かりと懐中電灯だけで、
道もない(雪に埋もれて見えない)、地図もない、
そんな状況で、3~4キロ離れた山小屋に戻る。
歩くところは、ひざ上から腰まで浸ってしまうほど雪が
積り、一歩一歩雪に埋まりながら歩かなくてはならない。
そんな大変なワーク(修行?)に参加した。
この時はまだニコニコ笑顔の私。
私以外全員男性の15人。
夕方5時半に
長野の戸隠神社奥の院から出発したのだが、
普通だったら90分足らずで山小屋に戻れる計画だった。
まさかその後、真夜中までさまよい歩くことになるとは
参加者の誰一人予想していなかった。
出発から30分ほど経った時、
まだまだ余裕の表情で一服している仲間たち。
経営の勉強会の一環で行われているので、
『楽々と山小屋に戻れるだろう』と軽い気持ちで
歩き出した私たちだった。
ところが、私たちは何度も方向を間違えて、
何時間歩いても道路に出ない。
時間をかけて歩いてきた道を戻っては進み、
大変な思いで歩き続けたが道がどうしても見つからない。
全員で途方にくれてしまった。
気温はどんどん下がり、履いている長靴の中に水や雪が入り、
足は凍りついている。 全員空腹だ。
3時間ほど歩いた頃、私はお腹が痛くなってきた。
困ったことに痛みはどんどん増してくる。
しかし、雪だらけで座るところもなく、もちろん薬もなく、
痛いお腹を抱えながら必死でみんなについて行った。
元々私は山歩きが好きだから、普通の人よりは
山歩きは慣れている。 しかし、体調を崩すとどうにもならない。
最初は何人かの方が
「カバン持ちましょう」
「手につかまってください」
と助けてくれたり、転ぶと起こしてくれたりしていたが、
だんだん、他の人も心身ともに限界になり、
自分が歩くのもやっとで、
私を助けたくても助けられない状態になってきた。
そんな苦しい状況で涙をぼろぼろ流しながら必死になって
歩いたが、その後2時間たっても道は見つからなかった。
「いったいこの過酷な経験は、私に何を学ばせる
ために起こっているのだろう・・・」
歩きながら考えたが、答えはなかなか見つからなかった。
星のとてもきれいな夜で、風がなかったことには救われたが、
腹痛と疲れと寒さ、絶望感がピークに達し、
私は雪の上でしゃがみ込み動けなくなってしまった。
すると、最年長の方が私に気づき、背中をさすりながら
「おーい、誰か肩を貸してやってくれ!」
と呼びかけてくれた。
そして、ずっと後ろの方を歩いていた男性が近づいてきて
「自分につかまっていいですよ」
と手を貸してくれた。
後で分かったことなのだが、その男性はその時すでに凍傷にかかり
自分が歩くだけでもやっとの状態だったようだ。
「愛想がなく怖い人」という印象だったが実はとても優しい方だった。
1時間ほど、その方に摑まりながら歩いた。
その後、もう一人、助けてくれる男性が現われた。
今度の方はとても華奢な身体付きだが、
別の具合の悪い人をずっと支えて歩いてきた直後なのに
「いざとなったらおんぶしますから、安心してください」
と言って、私を担ぐようにして歩いてくれた。
その優しい気持ちが嬉しくてまた涙が出た。
結局私たちは真夜中になってやっと山小屋に辿りついた。
全員が無事に戻ることができて本当に安堵した。
翌日、「大変な経験だったが、貴重な学びを得た」
という感想が多く聞かれた。
何事も意味のないことは起こらない。
必要な経験をさせてもらったのだと私も思う。
今回の経験で学んだことはいくつもあるが
その中で特に大きな学びだと思うこと
1つは、
「今後のビジネス展開は、計画的に慎重にすること」
私は今まで直感を頼りに、思い切り良く生きてきた。
かなり無謀な生き方もしてきた。
これまではそれでよかったかもしれないが、
今後の人生は、時には慎重に、下調べをきちんとした上で
進めていかなければいけない。
そうする時がきたのだと感じた。
もう1つは、
「人は見た目だけでは判断してはいけない」ということ。
第一印象で
「この人は合わない」とか「この人はいい人だ」
とか判断してはいけないということ。
人は見た目だけでは分からない。どんな方にも先入観を
持たずに接していこう。
そして自分の中にもう一つ変化があった。
それは、ちょっとやそっとの事では動じない腹ができた
ということ。
数時間という考えようによっては短い時間だったが、
極限まで苦しい思いをして、それを乗り越えたことで
「腹が据わった」という感じ。
もう二度とあんな思いはしたくないが、
起業して間もない私に天が与えてくれた大切な経験だと
今では思うことができる。
山の中を一緒に歩き通した仲間たち、心配してくれた先生たち、
試練と学びを与えてくれた天に感謝