toshiのブログ

学校の図書館で借りてきました、『音楽の歴史』(著者 属 啓成)。 実は本を借りるのはこれが初めて(笑)。緊張しました。 最近は全部機会でやっちゃうんですね。事務の人に助けてもらいました。

前回のブログにも書きましたが、「コードのない時代にどうやって曲を作っていたのか」という疑問。 解けました!いや~、単純なことでした。 まあ簡単にいうとあの人たち天才なんですね。 音に対する感性がハンパじゃないんです。 つまりぼくのような凡人が曲を作ったりセッションしたりできるのは彼らが神経をすり減らしながら構築してきた理論があるからなんです。 要はぼくらのように理論をもとに曲を作っていたのではなく、耳だけを頼りに曲を作り、そこから音程、和音などの法則を導きだしたわけなんですね。 

そう考えるとやっぱり理論やコードばかりにとらわれず、ぼくらももっと音に対する感性を磨かなきゃいけませんね。 とはいうもの理論はせっかく先人たちが残してくれた貴重な財産ですから、利用できるものは利用しないと・・・もったいないですよね。


クラシックの時代にはコードの概念がなかったというのを聞いたことがあります。 もちろんすべてがそうではなく、ドビュッシーなんかはコードスケールをじゃんじゃん使ってるように思います。 しかし、バッハなんかは旋律と旋律のみの対位法で曲が作られてます。もともと旋律を複数重ねてできたのがコード(和声法)で、逆にコードから曲を作っちゃおうというのが今のポピュラーミュージックなんでしょうが、ではコードがない時代彼らはどうやって曲を作ったんでしょうか。 一つの旋律だけなら誰でも可能でしょが、コードという規制がない状態で旋律と旋律をぶつけるには何を基準に音選びをしてたんでしょう。 感性のみなんでしょうか。 ピアノを弾いたとき左手はコードの構成音、右手はコードスケールを基盤としたメロディーなら納得なのですが、どっちもメロディー、さらに均等に音が使われて構成音が判断できない、なんてなると不思議でしょうがないんです(バッハとか)。 ぼくはこういう気にしなくてもいいような部分がどうも気になってしまうタイプなんです。 ある意味音楽むきではないのかもしれませんが・・。 こういうのに詳しいというかた、よければコメント等よろしくお願いします。 
toshiのブログ

オスカー ピーターソン(p)の『プリーズ リクエスト』。これはぼくが大学入学後に働きはじめたジャズスポットでいつも聴いてたレコード。 おすすめは『酒とバラの日々』。 ベースとピアノが一緒に歌ってる感じでとてもいい。 この演奏はピアノ、ベース、ドラムのトリオ編成。そのため一曲もやや短め。 ほんとにオシャレで大人な演奏で聴けば聴くほど好きになってしまう。 ベースはレイ ブラウン。 いつかこんなベースが弾きたいものです。 ぼくは寝るとき音楽をかけて寝るのですが最近すごい発見をしました。 無音が一番よく眠れます。