遥々来たぜ箱館 | シーラカンスの妄想

遥々来たぜ箱館

とりあえず、あはっぴーにゅーいやー。


さっき、土方歳三最期の一日を見終わりました。

ちょっと大鳥圭介の扱いがピエロチックで

しょんぼりだったのですが、まあいいとしましょうか。


ウチの故郷の人物と言えば、新撰組土方歳三さんなので、

(近藤はちと遠い)興味深く見させてもらいました。


俺の中の土方像とドラマの土方像で若干のギャップがありました。

三谷さんはドラマのコンセプトで希望を感じさせるエンドに

と言っていたので、最期まで諦めない土方歳三になったのだと思います。


実は大学三年の夏、バイクで土方が戦った江戸から箱館までの道のりを

約五日かけて旅しました。


お金が無かったので、全部野宿でしたw(ベンチや道の駅の軒)

宮古湾では、激闘の面影も無い美しい海に心奪われていました。

三陸のうに丼うまかったです。


諦めないってどういうことでしょう?

みんなが必死になるもので考えてみましょうか?


高校大学と一応ラグビーをやってきたことになっているので、

ラグビーでたとえてみたいと思います。


高校ラグビーでは花園出場を第一の目標としてみんながんばるので、

まずはそれを中心に。


戦争というのは、「負けたという意識を持たない限り、負けではない」と

かの有名なクラウゼヴィッツは自身の著書、『戦争論』で申しております。

(全部読んではいませんが、なにか?)

なので時間は無制限。別に40分ハーフではなく「もうおなかいっぱい」と

言うまで、もしくはラグビーをできなくなる状態まで(全滅ですね)

継続とします。人数も無制限とします。15人で戦わなくてもよく、

100人だろうが1000人だろうがいくらでも可能です。

逆に、15人に満たなくても続ける意志がある限り続行可とします。


こんな風にラグビーをちょっといじって当てはめてみます。

箱館の戦いは、163-12くらいで大差がついていて、

箱館チームはもう五人しかいなくて、次の試合の準備も始まって、

みんな「もうよくね?」とやる気失っているのに、右ウイングだけ(土方)

「花園だーっ!」って言ってるって感じでしょうか?


結局、右ウイング土方君が最後タックルに行って脱臼して

試合続行不可能になった瞬間、

キャプテンが「おなかいっぱい」の投了で

箱館チームの花園の夢は絶たれるわけです。


けが人だらけになって、部の存続が危うくなるくらいなら、

と投了の道を選んだキャプテン(榎本)

は責められません。大半の人がそう思うでしょう。

勝ち目の無い戦いは続けるだけ無益です。


しかし、もし土方君が脱臼せず、そのまま何日も試合

を続行していたならば、トライは取れたかもしれません。

151点差をひっくり返したかもしれません。

敵チームがみんな怪我して試合できなくなったかもしれません。


現代の人間はとかく諦めがちです。

あがくってことは、今の時代格好悪いかもしれません。

泥だらけになって練習するより、派手に着飾って無い内面を隠して

女の子と喋っていたほうが、人生楽しいかもしれません。


でもあがき続けることは、何らかの可能性を秘めていることを

忘れてはいけないと思うのです。たとえ歴史の上で敗者になったとしても、

土方歳三の名は日本がある限り忘れられないでしょう。


100万くらいの借金で自己破産するなということです。