福生病院の事件は亡くなられた方が透析は嫌だという気持ちを出したところから始まったわけですが、確かに透析室で過ごしていると、いろいろな患者さんを目にすることがあります。

 

透析用の注射針は、多くの血液を抜けるようにと普通の注射針よりかなり太いものになっています。当然、刺すときはそれなりに痛みを伴うものであります。かなりご高齢の方が「痛い、痛い」と叫んでいることもありますし、痛みから看護師や臨床技師に罵声を浴びせかけている女性も見かけました。

 

痛みへの耐性は個人差がありますし、私のようにラグビーなどをしていた人間にとって、透析前の体の不調と苦しさを思えば、針を刺す痛みなどどうってことはないのですが、週3回、最低でも6本は刺されなければならないことを思うと、気が滅入る気持ちはわかります。

 

私も入院先の透析で派手に失敗されまして、腕があざだらけになりました。(半袖で交番の前を歩いたら確実に職務質問受けるでしょう)しかも、4時間ジッとしていなければなりませんし、透析自体、心臓にも負担をかけるようですので、急激に血圧が下がったりして、苦しい思いをすることもあります。(幸い私はあまりひどい目にあっていませんが)

 

現在通っている透析専門クリニックでも、週明けにまた透析が始まるかと思うと辛くなるとか、透析を終えて帰宅してもしばらくボーっとして、気がつけば夕方になって一日が終わってしまう、こんなことが死ぬまで続くのかねぇという声を耳にします。ある意味、そうした人のメンタルケアも必要になってくるのが透析なのです。

 

ご高齢の方が多い透析クリニックですが、巷間の医院(特に整形外科)での待合室のように高齢者が元気で談笑する雰囲気ではありません。スタッフの方は気を遣ってか、元気に挨拶したりしていますが、そう明るくできるものではありません。

 

福生病院の事件では人工透析は終末期医療だなんて言っている輩がいましたけど、止めたら死ぬというのなら、多くの癌治療だって同じなわけでありまして、どうも、尊厳死と安楽死の区別もつかないで議論している人が多いようです。

 

透析しながら仕事をしている人は(私もそうですが)多いわけでして、自分が終末期だなんて感じることもありません。生活上の制限があるにしろ、自分が社会の役に立つことをしている自負はあるわけです。

 

ここまでくると、人生観の問題になってしまいますが、透析中もオーディオブックを聞いたりして、少しでも自分の知見を広げていこうという気持ちを持っています。転んでもタダ起きないという気持ちでいかないと、私も折れてしまいそうです。もっとも、そんな根性論だけでは長持ちするはずもないので、何か生きがいを探し出さなければと思う日々です。