2年続いた喪中のため、今年は久しぶりに年賀状を出した感があります。

 

私は長年、年末が忙しい仕事であったため、大晦日から元日にかけて年賀状を書き、元日投函の習慣がついています。そのため、今年も同じようなスケジュールで作成していました。裏面は年末に発売される年賀状ソフトで家庭の分、妻の分、事務所の分、私の私的な分と4種類作ります。

 

今年は宛名も印刷でするようにしましたので、多少作成時間は縮小されましたが、基本的にひと言、手書きで添えることにしていますので、その手間だけは省けません。

 

殆んどの人は、教え子だったり、昔の同僚だったりで、年賀状のやり取りでその消息を交換するだけの関係を何十年も続けている人が殆んどです。教え子なんか、一別以来30年以上会っていない人たちが山のようにいます。家族写真などをつけてくるのをみて、ああ、こいつもお父さん(お母さん)になって…、と思うとともに、昔の面影を残している本人と、むかしのままの子供の姿をほほえましく思えるのです。

 

もっとも、2年ぶりに出すと、転居先不明で返ってくるものが何通かあり、年賀状以外の連絡方法がないものですから、このまま音信不通になってしまうのかと寂しく感じられます。

 

今はメールで送る方も多いので、だんだん年賀状という制度も時代遅れになりつつありますが、紙(葉書)に自筆でひと言という「ぬくもり」はネットでは味わえないものです。紙資源の無駄と称して年賀状を出さない人もいますが、所かまわずどこにでもマイ箸を持ちこんだり、無洗米が環境にいいと信じ込んでいる人たちと同様の滑稽さを感じます。

 

今の世の中、機械化、省力化はとどまるところを知りませんが、人の手でつくられたものは、それが書かれた文字であっても温かみを感じるものです。いや、人の温かさが失われつつあるからこそ、年に一度の消息のやり取りがお互いの存在を認知しあうといった人と人のつながりの基本にもなるのではないかと思うのです。

 

君がどんなにつらい状況にあっても、年賀状をやり取りしている間は、君のことを忘れていない人間がこの空の下にひとりはいるよ・・・。私はそんな気持ちを伝えたくて教え子・友人に年賀状を出しているのです。