1年のちょうど真ん中の日は7月2日であると数学の教師に教えられたのですが…。(理系の人は面白いトリビアを知っているので楽しいです。)

 

次男が独立して3年を過ぎ、学費だナンだとの心配がなくなって、本業に気合が入ってこなくなったのは事実です。

 

出稼ぎのほうも週1日にしてもらい、文字通り、小遣い銭程度の収入しかありませんが、好きなようにさせてもらっているので、続けています。

 

本業は、今年、初めての建設業から始まり、定番の相続業務(相続手続き相談、相続人調査、相続手続での預金解約等)をしてきたので、全くやっていない訳ではないですが、ほとんどは口コミ・紹介などでして、営業活動をしていない影響がそのまま表われています。

 

それに反して好調というか、稼ぎの中心となっているのが第3の財布(=収入源)。

 

今まで、第3の財布の詳細を明らかにしてこなかったのですが、それは「株取引」です。相場環境が良いせいもありますが、ここ2年ほどは、減収分を補って余りある収支を出しています。

 

株取引の経験はもう10年以上あるのですが、命の次に大切なゼニを賭ける割に、勉強もしてこなかったわけです。妻の病気の時には、もう泣きたくなるくらいうまくいかないので、一時完全に放置して様々な書籍・DVD等をみて勉強しました。(昔やっていた旧司法試験ほどではないにしても、その半分ぐらい熱意を込めていたのは確かです)

 

亡母から、遠い親戚に小豆相場でひと財産作った相場師がいると聞いたことがありますが、私にも妙なDNAがあるのかもしれません。

 

ここで話さなかったのは、ただ、いくら儲けたなどということを話したくなかったのと、そこまでどれだけ苦労したかを考えると、どのようなことでも、ゼニを稼ぐのは並大抵なことではないということを「株取引」という言葉ではわかってもらえないだろうと思ったからです。

 

私のような不器用な人間が、どれだけ試行錯誤してきたかをここで語る気はありません。(備忘録的なブログを作っていますが、公開はしていません)

 

ただ、ゼニを稼ぐ目的は、本業でたいしたゼニにならないような仕事でも引き受けて人助けができるようになるためです。

 

自分が食うのに困っていて、他人を助けることなんかできませんよね。神様じゃあるまいし…。

 

恥をさらすようですが、本当に苦しい時はパチプロまがいのこともしました。それでも廃業しなかったのは、続けることが自分の人生の最後に花を飾ってくれると思ったからです。

 

士業が仕事を短時間で片づけられるのは、短時間で片づけられる能力を何時間も使って涵養してきたからです。だから時給5,000円でも取れるのです。これは株取引も同じです。

 

どんなものにもゼニを稼ぐのに楽をする人はいないのです。もしそうでない人がいたとしたら、きっと何かを代わりに失っているのではないか、私はそう思うのです。