センター試験後は直前授業ということでここ2週間ばかり忙しくしています。例年この時期は暇な本業のほうもいろいろありまして、法務局はじめいろいろと出かけることが多くなり、少々疲れ気味です。
さて、センター後の私の授業は主に私大の英文解釈(いわゆる長文です)と英訳・和訳などの記述対策(これは国公立大学受験者用)の2本立てです。前者は結構予習が大変でして(適当にごまかして解説すればそれはそれなりにできるのですが、性格上なかなかそうはいきません)、ただ単に問題の答がこうで、というばかりでなく、社会、人生、言語、教育に関する基本的知識を前提に読んでいかないと、ひとつ抜け出せないことが多いと思われます。
このへんが「大学」の受験だなと思う所以なのです。(世間でFランと評価される大学の多くはそんなこと必要ないものを出題する傾向が多いのですが、中には大学人としての良心がうかがわれるものもあります)もちろん相手は18歳の若者ですから、難しい哲学や人生論などわかるはずもないのですが、それでも、英文の中に読み取れる筆者の考えをどうやって自分なりに咀嚼して理解していくか、そういった「思考力」を求められるのです。
ただ、求められるものはそんなに難しいことではないのです。入試の英文では、ひとつの文章構成(=論理の流れ)のほとんどが演繹法か、帰納法のいずれかでして、(まれに弁証法を使うこともありますが)しかも圧倒的に演繹法であることが多いのです。
こうしたことに気づいている生徒は当然いるわけですが、それを知らない生徒も多いのです。それは、記述問題の採点がどのように(主に減点法です)行われていることを知らないのと同じように、無駄な労力をかける原因にもなっているのです。
ただ、こうした思考法は英文に限らず、数学や哲学の基本にまで話が及ばないといけないのです。
そりゃ、こんな面倒なことをしなくたって授業は成立するのです。でも、自分の教え子がこれからの長い人生、反知性主義にならないことが老教師の願いなわけです。自分のアタマで考えるためには、さまざまな思考法が必要なわけです。
多くの生徒(特に優秀な生徒)はそのあたり、わかってくれるのですが、これを英語に関係ない雑談や無駄話ととらえる生徒・保護者がいるのが私自身の悩みのタネです。
ただ単元内容を知りたければ、今はネット上で無料受講できるものもありますので、それを受ければいいだけです。対面授業は教師の知性も商品のうちだということもわからん馬鹿どもが一定以上の成績を出せるはずがないと思うのです。(こういう輩に限って塾・予備校をジプシーのようにまわっていく)
そういう生徒ばかりになったら、私はサッサと引退します。
さて、その一方で記述対策なのですが、これは英文和訳以外、ほとんどが個別対応。英文和訳も教えるほうの英語力ばかりでなく国語表現力も要求されますし、「ここを仮定法の意味を加えて訳す」なんてことまで言いますから、英語教師でもやりたがらないことが多いのです。
和文英訳(自由英作文を含む)に至っては、それこそ解答は千差万別。単語の語法まで確認しなければいけませんから、なおさらやる人はいません。(そもそも問題集や赤本の解答どおりの英文を書ける生徒などいないのに、それをもとに生徒の書いた答案を全否定する教師が多い)
私がそれでもこの作業に手をだすのは採点が当該生徒との communication だからです。答案と採点は常にcommunicationであるというのが私の持論なのですが、これを苦痛とするか、楽しみとするかは、教師と言うより人生のスタンスの問題ではないかと思うのです。
あとひと月足らずで、入試後二度と会うことがないかもしれない人と、最後のやり取りをする。これも人生の面白さなのではないかと。私はそんな風に思うのです。