生来の負けず嫌いが年齢とともに次第に頑固から頑迷にまで近づきつつあることを最近自覚することが増えてきました。

 

この世の中、超高齢化社会といわれ、どこに行ってもカーキ色の老人ばかりが目立つようになりました。(ファッションに関していえば、男性はほとんどキャップを女性は唾広ハットというのが定番のようです。面白いくらいよく見ますけど)

 

それはそれで、社会の趨勢ですからどうってことはないのですが、かなり顰蹙を買う老人も目立ってきまして、公園でゲートボールをする際には、入口に他人(特に幼児連れ)が入ってこないようにほうきなどでバリケードを築く輩がいたりするということも聞きますし、商店や飲食店ではつまらんことに大声でクレームをつけたり、こうはなりたくないと思わせる「反面老人」が目立つようになりました。

 

その原因はおそらく、巷間言われるように、社会的地位が高かった方々が、組織であった地位と自分の本来的存在価値が同等であると思い込んでいることが理由なのでしょうが、脳の衰えというものも大きな原因になるとも言われています。(いわゆる認知症とは異なるらしいが)

 

私は社会的地位が高かったわけでもないですし(というか、出世コースからは完全に逸脱していましたから)、普段若い人と接しているせいか、若い人の言動には許容幅が広いので、自分がセレブ扱いされるべきなんて思いもしませんし、前記のように、客として無理難題を吹っ掛けるなんてことは微塵にも思わないのです。でも、最近「心の闇」のようなものが広がってきまして、特に大人、さらに言えば老人に対する許容心が影を潜めつつあるのを自覚しているのです。

今は抑えてはいるものの、暴力的衝動が抑えきれなくなると、前記「反面老人」どもと同類になってしまうのではないかと。

自分が抱える加齢による心配は、癌なんかよりこちらのほうなのです。冷静に自分の崩壊を判断し、それに手を打たないことにはいかんな、と最近とみに思うのであります。それは、つまり社会生活からの引退を意味することでありますが。

ここ数年、いろいろなことに忙殺されて、自分の残りの人生を考える暇はありませんでしたが、真剣に考えなければならない時期に来たのかもしれません。老い(=衰え)を自覚し、対処することは自分のためばかりでなく、世の中のためでもあるのだと思うのです。