どういうわけか、塾屋の中には子供を育てたことがないクセに(というか生涯独身者になりつつある人が業界的には多いのですが)親が「子供が言うことを聞かない」という嘆きに対して、言うことを聞かせるなんて言うのは間違いで、「大人、子ども関係なく目の前の相手をひとりの人間として尊重する」ことが大切だなんて妙な正論を吐く輩がおりまして、時に目がテンになるのであります。

 

そもそも、生まれてすぐ歩くこともできず、親に何年も食わせてもらっているという人類の子供は自然界の中では特殊な存在でありまして、そこには支配と従属といった関係が存在するのは当然なのであります。そこから離れようとするのが反抗期であり、そこには当然支配する側との軋轢が生まれるわけですよ。

 

将来の進路はともかく、動物としての欲望をどう抑えるか(欲望には「勉強したくない」「逃げたい」も含むわけですが)にはある程度の強制力が必要なのではないでしょうか。それを抑えられる術を教え込まれず成長したらどうなるかは、昨今の青少年犯罪加害者を見るとよくわかるのではないかと。

 

人として尊重できるのは自己抑制ができる人間だけで、それができない奴は尊重に値しないというのが私の考えです。また、それをするのが教育というものではないか思うのです。人として生きる上での是非善悪は殴ってでも教え込まなければなりません。そのうえでの「尊重」であるべきでしょう。

 

しかし、その是非善悪を知るには親もそれを知るために学び、悩まなければいけないのです。だから親業は難しいのですし、やったことがない人が軽々しく偉そうに語るべきことではないと思うのです。

学校の勉強なんぞ社会で役に立たないことは親だって百も承知。でも、社会生活・経済活動を営む上において必要となる同時並行処理能力は、子供時代には勉強という形でしか涵養できないのです。

 

また、最近は減っていると言われますが、結婚式の披露宴では仲人から新郎新婦の紹介ということで、高校以上の学歴は両家親族の前ですべて披露されるわけでして(高校生にそれを話すとみんな「えー」って顔をします)、その後いろいろと厄介になることもあるのです。

 

親が「子供のため」というのはこうした様々なものを見聞・体験した中で言っているのであり、それは単に親のエゴとかで済ませるわけにはいかないのではないかと。(私事ですが、亡父は中卒だったため、体を壊すくらい働いても昇進ができなかったので、亡くなる前、子供には大学だけは出せと母に言っていたそうです。これも親のエゴですか?)

 

物わかりのよさそうなことを言う教師は、だいたい何の責任もとらないのです(責任をとった奴は聴いたことがない)。ですから、「生徒に好かれている先生」なんていうものに、私は胡散臭さしか感じません。

塾などでそういう教師と面談する機会があったら聞いてみてください。

「先生、お子さん育てたことありますか?」