出稼ぎ先の時間割の関係上、25日からようやく夏休みになりました。夏期講習を終わって、体力の消耗が激しく、寝てばかりいます。教えること自体に疲労感を感じることはないものの、いつまでこの仕事を続けられるだろうと思う毎日です。

私のスタンスは「必要とされればやるし、その場合にはプロとしての矜持を持って仕事をする」ということですが、父親を中学一年の時に亡くして、家計を助けるために新聞配達をやって以来、半世紀にわたって遊ぶためと言うより生きるために働いてきましたので、さすがに休みたいと思うのです。

一億総活躍とか、年金支給年齢引き上げに伴う定年延長とか、死ぬまで働かせ、税金をとってそれを自分たちが好き勝手に使うために策を弄する政府に逆らって、自由業という税金補足が一番しにくいところに足を踏み入れたのも、人生の最終段階における既成社会への反抗心の現れなのであります。

好きを仕事になんてそうそうできるものではありませんが、嫌なことをやり続ける人生は、拷問を毎日受けているようなものだと思いませんか?人生は楽しむためにあるものだということを前職を退職して初めて知ったのです。もっとも、こんな人間ばかりになったら、ブラック企業の経営者はじめ、偉そうにしている連中はパニックになるでしょうから、あの手この手で必死に騙そうとするでしょうし、組織にいるメリットを説き続けるのです。

でも、自分が生み出した価値と同等の報酬が受けられないのは資本主義の中での使用人としては逃れられない宿命ですから、組織にいる限り、自分の生み出す価値自体知らないまま一生を終える可能性だってあるわけなんです。いや、むしろそういう人のほうが多いのではないでしょうか。

何かというと自己責任論がまかり通る不寛容の現代社会の中で、他人を責めるための自己責任論ではなく(そういう奴ほど自分は責任を負わない安全なところにいる)、自分を活かす自己責任論があってもしかるべきかと、私はそう思うのです。